「まだかな」
私はずっと、学校が始まるのを待っている。カレンダーを見ては、「はぁ」とため息をついていた。今は五月。普通なら四月に始業式があったはずなのに。四月に始業式がなかったのは、コロナウイルスのせいだ。
私は、二〇二〇年の春、北海道から京都に引っ越した。ときどき「分散登校」というので同じクラスの三分の一くらいの人とは顔を合わせていた。が、クラスの全員と初めて会ったのは六月のことだった。私は、クラスで自己紹介をした。緊張で声が小さかった。それでも、クラスの人達は、聞き取ってくれた。
休み時間になると、クラスの何人もが、私の席に来てくれた。また、トイレの場所を教えてくれる人もいた。私は、「みんなが優しそうでよかったな」と思った。給食時間の間は唯一、全員がマスクを外すから、みんなの顔を覚えるために、キョロキョロ教室を見渡していた。この行動は少しおかしかったかもしれない。でも、全員の顔を覚えようと必死になっていたのだ。
京都での学校に通う生活が始まったのは、二〇二〇年の六月。コロナウイルスが流行しなければ「京都の学校に通う生活」は四月から始まっていたはずだ。新しい場所での学校生活を楽しみにしていた私は、コロナウイルスに腹を立てていた。でも、始業式が六月というのは、あまり聞かない。めずらしいからこそ、それはそれで良いのではないか。私は最近そう思うようになった。
四年半ほど前の私は、「四月から行きたかった」とずっと思っていた。でも、前向きに考えれば、「六月に始業式をした」というめずらしい思い出として残せるのだ。
友達ができるか不安だった私は今、優しい友達がたくさんいる。新しい場所での学校生活の「はじまり」は他の人とは少し違う。でも、「少し違うはじまり方」として思い出に刻んでおいてもいいかもしれない。