選考委員講評

選考委員長

人生の区切りとしての「はじまり」
山極 壽一やまぎわ じゅいち 総合地球環境学研究所所長・人類学者

 今年の題は「はじまり」である。これには、これから起こる自分の飛躍的な発展を夢見るものと、過去を振り返って「あああれがはじまりだったんだ」と気がつく思いがある。エッセイだから後者の振り返り型が多かったが、二つを組み合わせた作品もあった。改めて自分の人生の区切りを認識する心の動きが込められていたように思う。
 小学生の部の大賞となった『カネタタキ』はとても美しい文章で始まる。秋の田園風景の中に赤トンボが飛び交い、セミたちのオーケストラがこだまする。感性豊かな情景の描写の中に季節が変わる著者の驚きと喜びが見事に伝わってきた。
 中学生の部の大賞作品『心に舞う翼』も自然のダイナミックな動きに心を大きく動かされた体験が語られている。著者はツバメの大きな舞に感じた不思議な思いや疑問を、図鑑を調べることで深めていく。さらに、70歳以上も年の離れた野鳥観察会のリーダーとの出会いが、著者の好奇心を旅に誘う。いくつも出会いが世界を広げていくことが熱く語られている。
 一般の部の『今日の私へ』は過去の自分を振り返りながら、変身した自分に大きな希望を託した作品だ。友達のできなかった私が、お盆で母の実家に立ち寄り、叔母の書き込みが残っている本を手にする。そこに現在の潑剌はつらつとした叔母には想像できないような青春の悩みがつづられていることを発見する。叔母との会話で、毎日が新たなはじまりに満ちていることを著者が感じた瞬間が真摯に語られている。
 「はじまり」とは変身の記憶である。動物たちはそれを意識しないし、振り返ったりもしない。人間だけが人生の中にいくつも「はじまり」を見出していく。そしてそれを多くの人と共有することが人生を豊かにするのだと思う。

選考委員

自分らしい視点のかけがえのなさ
茂木 健一郎もぎ けんいちろう 脳科学者

 エッセイは、自分の心を映す鏡。人工知能全盛の時代だからこそ、内側から紡ぎ出される文字列は貴重である。
 小学生の部、大賞の『カネタタキ』は、季節の移ろいに向けられた視点が素晴らしい。優秀賞の『私をつむぐ相棒』は表現する喜びを、『考える』は現場で感じたことの大切さを、そして『ぼくの時間はチャイムと共に』は生活の中のリズムを描く。佳作の『「ハジメテ」とは』には、何かを発見することの素晴らしさがあふれていた。
 中学生の部、大賞の『心に舞う翼』は、自然とその中の生きものを観察する視点が卓越している。優秀賞の『終わらない自然』は大自然の営みを、『興味から探求そして守る』は歴史に対する想像力、『小さな、大好きな星』は人を思うことのかけがえのなさを、佳作の『指先に残る感触』は努力する心、『初めてのお化粧』は生きることのドキドキを描く。
 一般の部、大賞の『今日の私へ』には、言葉が人に与える感化の力がある。優秀賞の『歩いた日』は変わりゆく人生を、『先生にでも』は、人生における縁というものの不思議を、そして『なわとび名人』は教えることの喜びを描く。入賞は逃したが『アンヨのえくぼ』は記憶をたよりに人を想うことのかけがえのなさがあった。
 エッセイを読んでいて感動するのは、その人らしさが伝わってくる時である。私たち一人ひとりが、一度だけの人生を送っている。全人類を合わせても、可能な経験のすべてを網羅することはできない。人工知能が発達して、バランスのとれたものの見方がコモディティになる今だからこそ、自分らしい視点のかけがえのなさを再確認するきっかけとなった。

筆をそっと置くような
中江 有里なかえ ゆり 女優・作家・歌手

 毎年、徒然草エッセイ大賞に寄せられた作品を読むことが、私にとっての新しい年の「はじまり」です。
見知らぬ誰かの心の内、過去の出来事、忘れられない思い出……白い半紙に墨汁を含ませた筆をそっと置くような、緊張感に満ちた気持ちは清々しい。そんな気持ちにさせてくれる選考です。
 今回のテーマ「はじまり」は、まさにエッセイそのもの。
 何かがはじまる高揚、緊張、高まる気持ちを言葉で記す、気持ちの結晶はきらめいていました。
 小学生の部「カネタタキ」。夕暮れ時の車内の心のスケッチ。季節の移り変わりを目に浮かぶように描写する表現力が素晴らしいです。同じ車内の後部座席に座って、カネタタキの鳴き声を聞いている気分になりました。
 中学生の部「心に舞う翼」。作者の心には、いつもツバメが飛んでいる。ツバメが思い出を辿る翼にもなっている。ツバメは作者に自分の世界がある証だと思います。
 一般の部「今日の私へ」。人付き合いが苦手でも、自分という人間ときちんと向き合えているんですね。だからこんなに充実したエッセイが書けるのだと感心しました。
 今回は全部門で十代のみなさんが大賞となった珍しい回。
 経験は書き手の大きな力になりますが、今回は若い感受性が経験にまさりました。

「はじまり」に終わりはない
田中 恆清たなか つねきよ 石清水八幡宮宮司

 世界を見渡してみると、「始まりがあれば必ず終わりがある」、「何者かによって創造された世界は、その何者かによって必ず強制的に終了させられる」、という強迫観念めいた論理が大きな影響力を持ち続けています。確かに、入学があれば卒業という形の終わりがあり、始発駅があれば終着駅があり、この世に生をけた者は誰もが例外なく臨終の時を迎えます。けれども、それは限定的な枠組みの中で、言わば便宜的に引かれたスタート/ゴール・ラインに過ぎないのではないか。
 『古事記』等の古典に描かれた古来の人生観・世界観に照らして見ると、我々の世界は一つの始まりが次の始まりを生み、そこからさらに新たな局面が展開し、そのようにして無限に生成発展していくもの、と捉えられてきました。おそらくそこには、いわゆる「終末論」的な発想とは無縁の世界が広がっており、そうであればこそ、私たちはこの世界を「つくおさかたす」ための共同作業に参画する大切な仲間同士として、お互いを認め合い尊重し合うことになるのだと申せましょう。
 今回寄せられた多くの作品には、そうした終わりなき始まりの「はじまり」が、瑞々しく表現されているように思います。恒常的に姿を変えながら永遠の時を刻んでいく大自然の営み、詩情豊かに活写された季節の変わり目、自分を勇気づけてくれた子供たちや、素晴らしい先達せんだつとの出会い、自らのハンディや悲しみを乗り越えての新たな出発……等々、それらの作品にはいずれも周囲の自然や動物、人々に対する全幅の信頼感に裏打ちされた温かい眼差しが看取かんしゅされ、読後もさわやかな余韻が残りました。永遠に終わることのない「はじまり」の物語。これから先も多くの人々に記憶され、語り継がれていくことでしょう。

審査選考について

感動と勇気と希望を与えてくれる秀作ぞろい
寺田 昭一てらだ しょういち PHP研究所 月刊誌「歴史街道」特別編集委員

 第八回徒然草エッセイ大賞は、「はじまり」をテーマに、令和六年六月から九月までの三か月間の募集でした。令和二年初頭のコロナ禍から五年を経て様々な問題が山積してはいるものの、一方では、明日に向かって歩みだす明るさと前向きな兆しも見られる中で、「はじまり」をテーマにすることになりました。そして、一般の部一二八五作品、中学生の部七二一作品、小学生の四四〇作品、合計二四四六作品の秀作が全国から寄せられました。ここでは、選評にかえて、選考過程をご紹介します。
 徒然草エッセイ大賞は、四回の選考過程を経て授賞作を選んでいます。まず、応募規定を満たしているか、文章としての推敲すいこうがなされているか(誤字・脱字も含めて)、という点を中心に、各作品を編集者数名で評価する事前選考を行ない、一般の部二一七作品、中学生の部一二二作品、小学生の部三五作品を一次選考作品として選びました。一次選考では、一作品につき八幡市の市民選考委員三名、PHP研究所の編集者三名の計六名がそれぞれ五段階で評価。その総合点をもとに、二次選考では月刊誌「PHP」「歴史街道」「Voice」、月刊文庫「文蔵」の各編集長及び編集長経験者により、再度、文章力・表現力・内容を精査して、一般の部、中学生の部、小学生の部それぞれ二〇作品を最終選考作品に選定しました。そして最終選考では、六名の選考委員が、それぞれの作品を五段階で評価した上で、総合点をもとに山極壽一選考委員長を中心に再度精査を行ない、各部、大賞一作品、優秀賞三作品、佳作五作品を授賞作品として決めました。応募作品は、「今の自分」「今の世の中」に軸足を置きながら、明日に向かって力強く歩んでおられる姿を目の前に見せて下さる秀作ばかりで、感動と勇気と希望、そして素晴らしい出会いをたくさんいただきました。応募者の皆様に感謝します。

ごあいさつ

八幡市長 川田 翔子 かわた しょうこ

 この度、山極選考委員長をはじめとする選考委員の皆様並びに多くの方々のご協力により、第八回徒然草エッセイ大賞「入選作品集」が、ここに刊行できますことを心より感謝申し上げます。
 徒然草エッセイ大賞は、平成二九年の本市市制施行四〇周年を機に創設をいたしました。「方丈記」「枕草子」と並ぶ日本三大随筆の一つと言われる「徒然草」の第五二段では、石清水八幡宮が舞台となっていることは教科書にも掲載されており、多くの方がご存じだと思っております。本事業は、本市の歴史の発信とAI時代の日本語を考える一助とすることを目指すとともに、『文化芸術都市・八幡市』の推進及び発信を目的としております。また、市民の皆様に対し、郷土に対する誇りや愛着を持つ機会の提供の場と考えております。
 第八回のテーマは「はじまり」といたしました。「はじまり」とはその先に続く未来を予感させ、その「はじまり」によってたくさんの物語が生まれることに多くの感動を覚えました。この先の日本、そして世界も何かの「はじまり」によって歴史がつむがれ進んで行きます。そんな未来が希望に満ちたものとなるよう願いを込めて今回のテーマを選定させていただきました。その結果、様々な「はじまり」に満ちあふれた作品の数々が届き、一つ一つの作品から皆様が体験された様々な「はじまり」、そしてその未来を垣間見ることができ、幸せや希望など多くの感情や思いを感じることができました。
 今回におきましても、日本国内のみならず海外からもたくさんのご応募をいただきました。応募総数は二、四四六件に上り、どれも思い思いの「はじまり」が詰まった素晴らしい作品ばかりでした。
 その中で特に素晴らしかった作品を本作品集に掲載させていただきました。是非、掲載された作品に目を通していただき、素晴らしいエッセイをお楽しみください。
 受賞された皆様には、心からお祝いを申し上げるとともに、今後ますますのご活躍を祈念いたしまして、巻頭のご挨拶とさせていただきます。

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