中学生の部

佳作

どこも都
学校法人市川学園 市川中学校 2年 袁 楽知えん れな

 ときめきとは、喜びや期待などの強い感情によって胸が高鳴ること。  この夏私はものすごいときめきを実感した。いつもと違う環境や文化、目の前にあるものすべてがときめきそのものだった。コロナが明けようやく親戚のいる中国に帰省したのだが、五年ぶりで建物が変わったり記憶が薄かったりで日本での環境になれた私にとっては驚きとちょっとした懐かしさで、なぜかうれしかった。まずは食事、もちろんお寿司はないけど人が多いだけ種類も多く、日本のようにレストランもあれば道路の端でたくさんの人が自分で作った野菜等を売っている。また、人間関係ではエレベーターであった人ともちょっと話したりフレンドリーかと思ったら、接客ではゲームしてたりととても自由で楽だった。
 そして、私が一番好きな文化は夜にある。日本の夜はどこもお店は閉まっていて消灯して、人は少ないけど中国では夜公園に集まって運動をしたり踊ったり映画を放映したり、いろんなところでライトアップをしている。一人で夜歩いても人がいないなんて状況はめったにない。よく国同士を比べこっちのほうが良い、悪いなんて決めるけどそんなのあるわけないと思う。住んでいる人にとってはそこが一番居心地のよく一番好きなところなのだ。違う環境、新しい感覚すべてが嬉しくときめくのだ。
 そして、一番ときめいたのは私の弟だと思う。中国に帰ったのは五歳以来で、ほとんど記憶がないので祖父母の家に着いた瞬間目が輝いていた。人のラフさ、自由さ、多様性、とにかくすべてにときめいていた。初めてそこまでうれしそうな弟を見た。買い物をするときもはかり売りを見てびっくりしたり、フルーツの多さに喜んだり文化と環境の違いが弟の世界に革命を起こしたようだった。それ以降ものすごいスピードで中国の文化になじみ、上半身裸で遊びまくり、祖父とともにお茶を飲み、とっても楽しんでいた。
 文化以外で、私は初めて経験したことがある。それは母方の祖母と母が会話しているときに、母が初めて自分のお母さんではなくおばあちゃんの娘に見えたことだ。当たり前だが、私が生まれてから母はずっと母で祖母の娘と言う実感はなかった。母にそれを伝えたとき、とてもうれしそうに笑っていた。その時私はなぜかものすごくうれしかった。
 この夏さまざまな事を体験してやっぱり経験って大事だと実感した。自分の周りの環境に満足こそすれ、妥協はせず、もっと違う世界に飛び込んでもっと多くのときめきを感じるべきである。

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