「本当にその格好で行くの?」。玄関先の私に二十歳の息子が眉をひそめる。普段履かないスニーカーにデニム、ちょっとゴツめのアクセサリー、両手にドラムのペダルとスティックを持つ五十三歳の母の姿を、あまり好きではないらしい。まあ気持ちはわかる、痛々しいのは百も承知だ。でも息子よ、母は何を言われても、この格好で行く。何故なら今日は新しく参加するバンドの初顔合わせ、ナメられるわけにはいかないのだ。格好だけではなく、このひと月近所のレンタルスタジオで個人練習を重ねてきた。一時間七七〇円のスタジオ代だって無駄にはできん。
自分だってオバサンになってまでバンド活動をするとは思わなかった。学生時代のクラブ活動から始まり、いろんな形でドラムを十年程続けた。ドラムは独学だし、大した腕前でもないが、若い頃の思い出にはいつもバンドがそばにあった。
結婚を機にすっかり遠ざかっていたバンド。育児・家事・仕事で精一杯、懐かしむことすらなかったが、四十七歳の時両親が相次いで亡くなり、心にポッカリ穴が空くというのを実感した時、急にまたドラムを叩きたいと思ったのだ。
オバサンが急にバンドをやりたいなどと突拍子もないことを思い立っても、今の時代はとても便利だ。すっかり忘れたドラムの練習方法も動画を探せばいくらでも上がってくるし、高齢化のせいか音楽スタジオも若者じゃなくても入りやすい。むしろ中高年の方が多いくらいだ。音楽仲間を探すのだって、それ専用のサイトがいくつもあり、昔のようにメンバー募集のチラシを楽器屋の掲示板に貼っておくこともないのだ。ニックネームと年齢を登録し、好きな音楽ジャンルや演奏スキル・希望の活動場所などを入力すると、条件を見た同世代の人から連絡がくる。何回かのやり取りの後、数曲の課題曲を決め、スケジュールを調整し、いよいよスタジオで音合わせという流れになる。
初顔合わせの時、スタジオの重い扉を開ける瞬間の緊張感はなかなかのものだ。簡単な挨拶を済ませると、早々に音合わせが始まる。話では皆同程度の楽器経験のはずなのだが、演奏してみると驚く程力量の差があったりする。自信なさげだったベースがとても上手かったり、ちょっと上から目線だったギターがガッカリな腕前だったり。一曲四分程、皆の出す音を聴きつつ各々がいろんな事を思いながら演奏する。課題曲数曲通し終える頃には、メンバーそれぞれの頭にぼんやりと「答」が浮かぶ。このバンドに次があるか否かの答。更に、休憩中に今後やりたい曲などを話し合うと、先程のぼんやりした答が確信に変わってくる。
いい年した大人同士の月一程度の趣味の集まりだ。多少の力量の差や好みの違いなどがあっても、お互いの意見を尊重しながら長く続けられるバンドに出会えるものと思っていた。しかしこれが全く思ったようにいかない。皆驚くほどワガママなのだ。スタジオを終え会計をするまでは大人の対応。しかし「それではまた!」と手を振った後、即「バンドの方向性が合わないので辞めます」と一抜けの一報が入ったりする。まだ連絡がくるのはマシ、いきなりブロックなんてこともある。方向性もなにも、プロを目指してる若者でもないのに……。大の大人がこれだけ自分の好みに正直に行動するなんて、なんだか急に若返ったみたいだ。
職場でも家庭でも、もう逃げ場のない世代。出世も未来もほぼほぼ予想がついてくるし、代わり映えのない日々にうんざりしつつも、それを我慢するのさえ慣れた。住宅ローンも残っているし、子供の学費もまだかかる……、辛抱・辛抱・辛抱。そんな自我を抑えることに慣れてるはずの大人が、「なんだか思ってたバンドと違うんだよなー」という一点だけで、あっさり関係を断ち切る感じにキュンキュンしてしまう。ロックだねぇ……と。他でたくさん我慢してるのだから、バンドだけは自分が本当にやりたいことだけするんだ! もう自分の気持ちに嘘はつかない! みたいな、一度はやってみたかった尖がった感じを出す中高年、もはや可愛く思ってくる。
そんな反抗期中高年との出会いばかりで、私のバンド活動はなかなか前に進まない、続かない。こっちが辞めたり、相手が抜けたりの繰り返し。体力的にもあと何年ドラムが叩けるかわからないし、長く続けられる仲間を早く見つけたほうがいいに決まっている。でも、初めて音合わせする時のあのヒリヒリ感、次のスタジオがあるのか無いのかの駆け引き、五十三歳の今その瞬間が何よりもときめくのだ。ロックだねぇ、あんたも私も、と。