一般の部

佳作

あくなき挑戦
神奈川県横浜市 工藤 孝之くどう たかゆき(76)

 過ぎし日。朝、ベランダに出ると、視界に飛び込む小高い丘陵はすっかり新緑の装いだ。見慣れた景色だが、ここにたたずむと妙に心が落ち着く。
(そろそろけじめをつける時かな)
 これまでどれだけ応募したろう。でもまったく内定をもらえなかった。年齢の壁が問答無用とばかりに行く手をさえぎった。すでに六十五歳になっていた。
「もういい加減、あきらめたら。誰があなたみたいな年寄りを使いたいものですか」
 長年連れ添う妻は容赦ない。ズバリ核心をついてくる。
「このまま家でじっとしていたくないんだ。地域社会に少しでも役立ちたい。その思いだけさ」
 私も懸命に言い返す。人生には年齢に関係なく前向きの姿勢が必要だ。趣味の卓球に打ち込むのも悪くはないが、幸い今は心身ともすこぶる元気だ。誰かの役に立てるならば知恵を出し、汗をかきたい。そうした挑戦が生きがいではないのか。そんな私に、妻は時々思い出したように口をはさむ。それがずっしりとこたえる。
 その日の午後、久しぶりにハローワークをのぞくと、興味をそそる求人票を見つけた。東京都の職業訓練施設の就職支援相談員だった。欠員が出たらしく、その補充求人だった。紹介窓口に行くと、係員はすぐに応募状況を確認したが、直後に奇声を発した。
「なんじゃ、こりゃ。すでに九十六名が応募しているぞ。一体、どうなっているんだ?」
 百倍近い競争率を目の当たりにして、係員もあきれ顔につぶやいた。
「とても受かる見込みがないから、これはやめた方がいいですよ」
 確かにそうだ。だが、私は違った。何とも言えない不思議な感情が熱く体中を駆けめぐった。
(こんなに応募者が多いのはなぜだ? それだけ魅力があるのか)
 訓練生は新たな希望を抱き、懸命に職業能力を磨く。卒業後、彼らは将来を託せる事業所を探り当て社会に羽ばたく。その架け橋となるのが就職支援だ。これほどやりがいのある仕事はめったにあるものでない。瞬時に求人票の中身を読み取ると、心が躍った。ときめきを超えて、もはや興奮状態に近い。紅潮したまま告げた。
「いや、受けます。紹介状を発行してください」
 長年にわたりシステム開発の仕事に携わってきた。六十四歳でその会社を定年退職した後、地元の福祉事務所に事務職で再就職した。当時、その福祉事務所の雇用は六十五歳までと内規で決まっていた。仕方なく、年齢不問かつ事務職の求人を探し、三十を超す事業所に応募したが、ほとんど書類選考で落ちた。運よく面接まで進んでも「特別の資格や経験はあるの?」の一言でぎゃふんとなった。それらは何もないのだから……。
 自宅に戻った後、妻に話したら案の定、一蹴いっしゅうされた。
「まだあがいているの。りない人ね」
 私は発奮した。どうせ受かりっこないのなら、これまでやってきた提案型ビジネスを応募職に置き換えてPRをしよう。やり方はこうだ。受け入れた求人票から選ぶだけではなく、こちらも求人開拓し、訓練生には自分を売り込ませる。そのための作戦と就職率などの数値目標を盛り込んだプレゼン資料をパワーポイントで作る。それを面接当日に面接員に配り、プレゼンする、というもの。
 運よく書類審査を通り、やがて面接となった。私がいきなり三枚のプレゼン資料を配ると、五名の面接員は互いに顔を見合わせた。あまりにも破天荒はてんこうなやり方に戸惑いを見せたようだ。それでも、拒否されずに受け取ってもらえたので一安心だ。
 これまで就職面接は何度も受けてきた。だが、今回ほどときめきを感じたことはない。受かる、受からないはどうでも良かった。ただ、自分の考えを堂々と伝えたい。その機会が与えられただけでもうれしい。こうした思いはこれまでの人生を振り返ってもなかったことだ。確かに、初恋とか、結婚とか、ときめいた場面はいくつもあった。それらは自分だけのドキドキ感が強かったが、今は違う。社会とのつながりを彷彿ほうふつとさせる絶好の場面に直面し、脳細胞を刺激しない訳がない。人生で大事なことはあきらめない挑戦だと思うが、まさにその最大の試練のような気がした。
 面接では意見交換の気分で臨んだ。そして奇跡は起きた。
 採用後の初出勤で、所属課長から開口一番に言われたのが、今でも印象に残っている。
「まあ、よく受かったものだね。宝くじで一等を当てたみたいだって、都庁でも噂になっているよ」
(いや、就職試験は宝くじと違って運だけでは受からないんじゃないの)
 心の中でそう叫びながら、新たな船出に闘志をかみしめていた……。
 現在、私は七十六歳になった。縁あって近隣の福祉事務所で生活困窮者の就労支援相談員に就いている。東京都職業訓練施設の就職支援相談員に魅せられたことが契機となって、ずっとやりたいことに挑戦し続けることができた。
 私にとって、あくなき挑戦が生きがいだとしたら、そのご褒美がときめきなのかもしれない。

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