今年の梅雨は例年より一ケ月も早く明け、まだ七月になったばかりだというのに、猛暑日が続いている。今日もお昼前にもかかわらず汗だくになり、エアコンをつけようとベランダにつながる窓を閉めた。
ふとベランダに目をやると、そんな私を横目に、我が家で飼っているメダカたちが悠々と泳ぎ回っていた。あ、メダカの餌やりを忘れている。メダカの餌やりは毎朝の私と弟の日課だ。今日も暑いねえと、メダカに話しかけながら餌をあげると、メダカたちは頷きながら嬉しそうに餌を食べていた。メダカは仲間を見分けられるという。私たちのことも家族だと思ってくれているはずだ。
私は魚はあまり好きではないが、この小さなメダカたちには何か心ひかれるものがある。このメダカたちは三年前に『水辺の生き物探検隊』というイベントに参加した際、もらってきたメダカたちだ。
私が住んでいる八幡市は三川
合流という国内でも他にほとんどない珍しい地形の地域で、京都盆地から流れ出た桂川、琵琶湖からの宇治川、伊賀からの木津川が八幡市で合流し、淀川へと姿を変える。そんな川のまわりに住む水辺の生き物や自然に触れるイベントで、大の魚好きの弟についていき、参加したものだった。
メダカを飼い始めて一年目はメダカの卵が親メダカに食べられてしまい、せっかくの卵がほとんどダメになってしまった。だか、二年目、三年目はその反省を活かし、卵を探しては違うバケツにうつして見守り、大切に孵化させて育てたメダカは二百匹になった。
だがつい先日、母に水槽が増え過ぎているからとメダカを減らすよう頼まれてしまった。確かに、ベランダで布団を干すときは邪魔だし、洗濯物が風で落ちたときは必ず濡れてしまい、時々、母が小さな叫び声をあげているのは知っていた。しかし、母も仕事から帰ってくると、しゃがんでメダカを見つめながら、癒されるとよく言っていたので、メダカを減らして欲しいと言われたときは、ショックだった。
はじめ、私と弟は抗議したが、はたしてこのメダカたちは、一生狭い水槽の中にいて本当に幸せなのか考えた。弟と相談し、元いた川に返しに行くことにした。
メダカは日本に古くから住む川魚だが、絶滅危惧種として指定されたことで、保護活動が盛んに行われるようになった。しかし、そのメダカを守ろうとした運動が、逆に在来種の減少を加速させてしまった。なぜならメダカには住んでいる地域ごとに遺伝的な違いがあるからだ。メダカを増やそうと、メダカ池やビオトープ池をつくり、他の地域のメダカを放流し、在来種を減らしてしまった。元いた川へ返し、この美しい環境を守ることが大切なのだ。
私たちはメダカを川へはなした。メダカたちは私たちの近くを楽しそうにグルグル泳いだ。それはメダカたちの「ありがとう」に見えた。