頭に出来たたんこぶが何日経っても治らないことに母が気づいた。僕はまだ五歳だった。レントゲンに映った白い影。小児がんの疑いがある、と病院の先生から告げられていた。やんちゃであった僕は、外遊びも友達と過ごすことも大好きであったが、次の日から保育園にも行けず、入院が決まったそう。
家族や友達にも会えず、とても悲しかったことを覚えている。ストレスも感じていたのか点滴や薬も嫌で、毎日泣き叫んでいたと母が言っていた。このまま腫瘍を残しておくと今後外で遊ぶことも、走ることもできないと言われて手術することが決まった。術後は、脳神経外科へ運ばれた。同い年の友達もいないし、遊ぶものもなく、いつもテレビの部屋で時間をつぶし、寂しい毎日を送っていた。
そこで出会ったのが病気で入院していた谷山さん。僕に勇気と元気をくれた大切な人である。谷山さんは、何度も手術や入院を繰り返していたそうで、動かなくなった手のリハビリといって、一人きりだった僕を誘って一緒に折り紙をして遊んでくれた。毎日退屈で入院生活も嫌だったが、二人でテレビを見たり、おやつを食べたりして、僕を元気にしてくれた。
手術の結果が出て、心配していたものは良性腫瘍であることが分かった。そのうえ、二百万人に一人というほどの珍しい病気だそうで、どん底からの僕の頭の傷は人生の勲章になった。
それから、僕が先に退院する日が決まった。谷山さんの提案で僕の家族にサプライズプレゼントをあげようと二人でメッセージボードを制作した。今となっては家族の宝物。額に入れて部屋に飾ってある。
中学一年になったこの夏。あれから七年たち、病院の先生から再発の可能性はきわめて低いでしょうとのことだった。病院の通院を卒業した。ここへ来て、もしかしたら谷山さんに会えるかもしれない、という思いもあったのだが、ここへ来ることもこの先ないだろう。
嬉しい反面、寂しい気持ちもあった。なぜなら連絡先もわからず、退院後一度も会っていないからだ。
僕は、元気にしています。谷山さんは元気にしていますか。僕には、これからどんな出来事があるかわからないけれど、谷山さんのように自分がどんなにつらい状況でも、人のために元気や勇気を与えられる人になります。
僕の人生にとって、谷山さんはわすれられない大切な人。いつか会えたら感謝を伝えたい。この思いがいつか届くことを信じている。