息をのむほどに美しい景色を見たことがある。これまでの人生で、最も大きな感動を私にもたらした、忘れがたい思い出だ。
十一歳の夏。当時タイに住んでいた私は、夏休みを利用して、ピタック島という地方の島に赴いてボランティアとして活動するという子供向けのチャリティキャンプに参加した。ゴミ拾いや島の住人の方々との交流、マングローブの植林などの活動の合間に、スイカ割りや釣りなどの遊びの時間も盛り込まれ、あまり都会から出る機会がなかった私にとっては滅多にない、自然豊かな土地での楽しく刺激的な二泊三日だった。
そして訪れた最終日。私たちは本土に戻るための帰りの船に乗り込んだ。船とはいっても、十五人がやっと乗れる小さな電動ボートで、夜の暗さも相まって少し怖い。旅の荷物を抱えて、仲間のみんなと歌を歌いあっているうちに船は出発した。
水面を滑るように、しんと静まり返った海を進んでいく。だんだん遠くなっていく島を振り返る私に、一緒に来ていた友達が声をかけた。「見て、海が光ってるよ」と。そんなまさかと思い、船の外に目をやった瞬間、私は言葉を失った。
人工の明かりがほとんどない、辺り一面を埋め尽くす真っ暗な空と、海。澄みきった空気が肺を満たす。その夜はちょうど満月で、丸いコインのような月と満天の星空が、摑めそうなほどすぐ頭上に浮かび上がっていた。海は空よりももっと黒かった。船が動いて大きな波をたてるたび、青白く幻想的にきらきらと輝いた。友達がさっと水を手ですくって懐中電灯で照らしてみると、それはきれいな海水にすむ無数のプランクトンだった。
四年が経った今でも目に焼きついている。全てがなんの混じり気もない自然としてただそこにあって、この壮大な空間の中で、自分がとてもちっぽけに思えた。
何年、何十年経っても、この景色をいつまでも見ていたいと、私は強く、そう願った。
夏休み明けの学校の授業で、私は環境問題について学んだ。そのときに、プラスチックゴミで汚染された海の画像をたくさん見た。昼なのにどこかどす黒く見えた。この汚れた海と、ピタック島の海は繋がっている。それだけじゃない。大気汚染。生態系への影響。どこまでも大きく不変に見えた海は脆いバランスの上にたっていて、もう崩れ始めている。
私が見たあの景色は、当たり前のものではなかったのだ。人間が壊しつづけた台の上で、かろうじて成り立っている。今あの海に戻っても、プランクトンはもういないのかもしれない。では、私の願いは叶わないのだろうか。
まだ間に合う、と私は信じている。美しい海を守りたい。その願いが私だけでなく、みんなの願いになれば、大きな変化を起こせる。だからこそ私は願いつづけたい。行動を起こしつづけたい。この願いが叶う、その日まで。