選考委員講評

選考委員長

「願い」という不思議な感性
山極 壽一やまぎわ じゅいち 総合地球環境学研究所所長・人類学者

 人間以外の動物でも喜怒哀楽はある。それぞれが進化の過程で発達させた感性を用いて世界と向き合い、自分の欲求を満たそうとしている。しかし、「願い」というのは人間に独特な感性だろうと思う。それは、過去に起こったことを契機にして、それがもし違っていたらと思う気持ち。そこから出発して現在を違った角度から照らし出し、き起こる創造性が未来をつなぐ。そして、「願い」は常に言葉によって表現されるパラレルワールドである。何度でも繰り返し思う気持ちは言葉によって強化されるし、自分が思うだけでなく、人に知らせていっしょにかなえたいと思う。
 一般の部で大賞に輝いた「『もう一人の自分』へ」は、急性骨髄性こつずいせい白血病で苦しむ自分に骨髄を提供してくれた無名のドナーの言葉に励まされ、次々に襲ってくる病気に耐えて生き抜いていく気持ちの変化をつづっている。言葉によって「願い」は届くことを生き生きと語ってくれた。中学生の部の大賞は「あの日見た景色を、永遠に」という美しい自然との出会いだった。光る海と星空の描写が素晴らしい。作者が息をのむ様子が、そして海の汚染に気づき、願いを人々と共有したくなる心の動きがていねいに描かれている。小学生の部の大賞「コロナ禍じゃない四年生にもどりたい」は、まさに失われてしまった過去、あったはずの楽しい給食や修学旅行に思いをせた作品だ。その体験をもとに、今日という日を大切に生きようという気持ちが正直に伝わってくる。
 しかし、時として言葉は願いを裏切ることもある。多くの作品が願いと言葉の食い違い、気持ちを表すことの難しさに気づいていた。その葛藤のなかに徒然草を始めとした珠玉のエッセイが生まれるのだと改めて思う。

選考委員

言葉を通してお互いの鏡になること
茂木 健一郎もぎ けんいちろう 脳科学者

 脳の働きから見て、エッセイを書くことは自分の内面を映す「鏡」を手に入れることである。人生のさまざまなステージで随筆をつづることで、自分の精神を見つめ直して成長のきっかけをつかむことができるように思う。
 小学生の部、大賞の『コロナ禍じゃない四年生にもどりたい』にはこの特別な時代に生きる思いが的確にとらえられていた。優秀賞の『大切で大好きなもの』は人をつなげる放送の意味を、『僕の願い』は人が生きることの切なさと喜びを、そして『時間をかけて進む』はエジソンの名言と自分の個性の響き合いを描いた。佳作の『平和な世界って?』は時代に真摯しんしに向き合う。
 中学生の部、大賞の『あの日見た景色を、永遠に』は、みずみずしい感性で一期一会いちごいちえの体験を綴る。優秀賞の『最後のとりで』はネット全盛時代に本の大切さを、『心の仮面を取れ』は自分の考えを表すことの意味を、『大切な人へ』は忘れられない出会いを、そして佳作の『この川にメダカを想う』は自ら生命や環境をはぐくむことのかけがえのなさを書く。
 一般の部、大賞の『「もう一人の自分」へ』には、現代の医療がつなぐ命の姿がしみじみと記される。優秀賞の『妹と私』はお互いに支え合うことの素晴らしさ、『最後の食事』は、人と向き合うことの機微、そして『フツウ』は個性を活かすことの本質に迫る。佳作の『原稿用紙に描く未来』は成長の喜びを、『先生の手』は素晴らしい恩師との思い出を描いて心に残る。
 自分が書いた文章だけでなく、人が綴った思いに触れることで、自分が映る鏡も重層的になる。人が思いを言葉に託し、その言葉を通してお互いの鏡になることの素晴らしさを、この困難な時代にもう一度味わいたい。

「願い」とは「祈り」でもある
中江 有里なかえ ゆり 女優・作家・歌手

 何かを願う時、人は手を合わせたり、頭を下げたりします。エッセイを書く時は、手も合わせないし、頭も下げませんが、読ませていただいた文章に「願い」はくっきりとあらわれていました。
 小学生の部「コロナ禍じゃない四年生にもどりたい」はかなわぬ願いに胸が締め付けられました。コロナで失われた友達との時間、悲しみ、悔しさを抱えながら、これからを良き時間にしようとする願いが感じられます。佳作「小さな願い」は自身に語りかけるような願いが誠実でよかったです。
 中学生の部「あの日見た景色を、永遠に」は、自然の描写と自身の心を照らし合わせた文章が相まって見事でした。もう一作「この川にメダカを想う」を挙げます。メダカのえさやりから川の環境問題へと思考が広がるスケールの大きい作品でした。
 一般の部「『もう一人の自分』へ」は一押いちおしした作です。作者は幾度も大病をわずらい、命を救ってくれたドナーに思いを馳せ、すべての患者と家族の幸せを願い、心の中で手を合わせておられるのでしょう。移植手術という命をつなぐ治療の尊さ、家族がもらった勇気と希望、読み終わって心がじんわりと温まりました。
 ここまで書いて、「願い」とは「祈り」でもあると気づきました。
 みなさんの祈りに触れ、心が洗われる思いがしました。

神の願い
田中 恆清たなか つねきよ 石清水八幡宮宮司

 私たちをお守りください、幸せにしてください、という人々の願いを、私ども神職は日々の祭典奉仕の折に、神様に申し上げています。神と人との〝仲執なかとち〟として神前に向かうたび、誠におそれ多いことながら、親や祖父母が可愛い子や孫の幸せを願わずにいられないように、神様も人々の幸せを強く願って下さっているのだ、ということがひしひしと伝わってまいります。そもそも、国家の弥栄いやさかと国民の安寧あんねい、生きとし生けるものの幸福を願われる八幡大神の神願じんがんによって、男山の山上におしずまりになったのが石清水八幡宮であり、神願によって始められた祭祀さいし法会ほうえが石清水放生会ほうじょうえすなわち現在の勅祭・石清水祭であると伝わっています。そうした神様の有り難い御心にお応えし、平和で美しく、誰もが幸福を実感できるような世界を実現することこそ、我々に課せられた使命であると申してもよろしいでしょう。
 人々の願いは様々です。壮大な願望も、ささやかな願いも、神様の前では南国の夜の海を照らす無数のプランクトンのように、ほんのはかなまたたきに過ぎないのかもしれません。けれども、あらゆる願いには、かけがえのない命の輝きが宿されています。授かった命の重さ尊さ、身近な人への熱い思い、亡き人の願い、自分の成長、取り戻したい過去、自分にとって大切な存在……等々、今回寄せられた作品すべてに、一人一人の人生に対する真摯しんしな態度というものが感じられ、たいへん好もしく思われました。自分自身のささやかな願いも含め、多くの人々の願いを背に受け止めつつ、今後とも神様の「御用人」として、お取次ぎの御役を務めさせていただきたい、との思いを新たに致した次第です。

特別選考委員

願いは心の響き
瀨川 大秀せがわ たいしゅう 仁和寺門跡

 第六回徒然草エッセイ大賞「願い」の応募作品を拝読させていただき、どの作品も素晴らしく、どんな時にでもあきらめない可能性に向かい努力することの素晴らしさを学ばせていただきました。
 小学生の部では、素直な心が表現されており、現在はコロナ禍の中で、今までに経験をしたことがない新しい生活が余儀なくされ、日々普通にできていたことがこんなにも有難かったのかと気付きがあり、一日も早く元の生活に戻りたい願いが伝わります。
 中学生の部では、社会性の自覚、自然環境への関心を伺うことができました。私たちの周りには素晴らしい自然があり、自然の恩恵で命をはぐくみ、海には多くのプランクトンが生存している、光る海を大切にしたい願いが伝わります。
 一般の部では年齢と共に人生経験から生死観に立脚した作品が多く、人生を深く思索された内容に感銘いたし、私自身が人生の勉強になりました。
 また、骨髄バンクで生かされている自分の命に目覚め、あらためて今ある命に感謝して、一日を大切に生きる願いが感じられます。
 少し話が固くなりますが、人生はその時代を背負って生きています。
 生老病死しょうろうびょうし四苦八苦しくはっくを経験して、自分ではどうすることもできない「あきらめ」を感じて、あ……そうなのか真理の花束なのか……と自分に納得させます。
 さらに苦しみも全てを受け入れ、そこから人生の体験を通じて、「願い」とは消極的なネガティブから、積極的なポジティブへと方向転換をする、希望につながる心の響きであります。
 最後になりましたが、皆様のご健勝と、当事業のご隆盛を願い挨拶あいさつといたします。

審査選考について

コロナ禍第七波の中で
寺田 昭一てらだ しょういち 月刊誌「歴史街道」特別編集委員

 第六回徒然草エッセイ大賞は、「願い」をテーマに、令和四年の六月から九月までの三か月半の募集でした。新型コロナウイルス感染拡大も三年目を迎え、春になって少し落ち着きを見せていたコロナ禍に、第七波(七月から九月)が襲ってきた真っただ中での募集となりましたが、一般の部一五二六作品、中学生の部六六五作品、小学生の部五〇七作品の秀作が全国から寄せられました。ここでは、選評にかえて選考過程をご紹介します。
 徒然草エッセイ大賞は、四回の選考過程を経て授賞作を選んでいます。まず、応募規定を満たしているか、文章としての推敲すいこうがなされているか(誤字・脱字も含めて)という点を中心に、各作品をプロのライター、編集者数名で評価する事前選考を行ない、一般の部二一六作品、中学生の部九八作品、小学生の部八五作品を一次選考作品として選びました。一次選考では、各作品を八幡市関係者三名、PHP研究所の編集者二名の計五名がそれぞれ五段階で評価。その総合点をもとに、二次選考では月刊誌「PHP」「歴史街道」「Voice」、月刊文庫「文蔵」の各編集長及び編集長経験者により、再度、文章力・表現力・内容を精査して、一般の部、中学生の部、小学生の部それぞれ二〇作品を最終選考作品に選定しました。そして最終選考では、七名の選考委員が、それぞれの作品を五段階で評価した上で、総合点をもとに山極壽一選考委員長を中心に再度精査を行ない、各部、大賞一作品、優秀賞三作品、佳作五作品を授賞作品として決定します。今回は、一般の部、小学生の部で佳作が六作となりました。
 「願いは大きくせよ」という言葉がありますが、今回の応募作品は全体的に、気宇壮大な願いというよりは、自分自身の身の回りを見つめ、そこから未来に向かっての希望や志、目標を見出して地道に努力される姿、しかも、それが自分自身の満足のためだけでなく、他者のために役立ちたいという思いがいっぱいつまった作品が多く、たくさんの学びと感動、勇気と希望をいただきました。応募者の皆さん、ありがとうございました。

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