一般の部

佳作

原稿用紙に描く未来
愛知県名古屋市 藤本ふじもとゆきな(32)

 「作文を書いてみたらどうだろう」
 そう提案したのは、娘が小学校一年生になった春だった。おしゃべり好きなのに、話し下手な娘と、情報を整理するのが苦手なASD(自閉スペクトラム症)の私。毎日持ち帰られる「あのね、今日ね」を一つでも多く、しっかりと受け取りたくて、私は娘に原稿用紙をプレゼントした。
「なにこれ」
 初めに見せたのは興味津々しんしんの顔。宿題みたい、と嫌がられると思っていたので、意外な反応だった。
「原稿用紙。作文を書く紙だよ」
「作文てなに?」
 そこからか。私は娘に、作文について説明した。それから、どうしてこの提案に至ったのかも。情報を整理するのはやっぱり苦手で、話は行ったり来たりしてしまったが、娘は時折質問しながら、私をじっと見て、真剣に話を聞いてくれた。十五分かかっても、細かいことは何も伝わらなかったが、娘は『作文=日記みたいなお手紙』『原稿用紙=伝えたいことを発表する紙』と理解してくれたようだった。
「で、どうやって書いたらいいの?」
 思うまま書けばいいと伝えたが、鉛筆は止まったまま。私は娘に問いかけた。
「今日は学校で何があったの?」
 少し考えて、娘は鉛筆を走らせ始めた。
『きょうがっこうでほめられました。すごいでしょ!』
 元々、よくお友達とお手紙交換をしているだけあって、文章を作ることに抵抗はないらしい。
「ほめられたんだ。何をしてほめられたの」
 私は原稿用紙にピンク色の付箋ふせんを貼り付け、「教えて」と指さした。娘は意図を理解したようで、付箋に『できなくてこまってるこにおしえてあげた。ずこうでこうさくをつくった』と書くと、もう一枚付箋を貼るよう要求した。先生やお友達のセリフでも書いてくれるのかな、と思い、すぐ横にもう一枚貼り付けたが娘は何も書かない。
「青いのがいい」
 不思議に思いながら、言われた通り青の付箋を貼り付けると、そこに書かれたのは予想外の一文。『でもけっきょくおこられました』。
「え、どうして」
 思わずたずねると、娘はまた青い付箋をめくり、『じぶんのことがおわってないでしょとおこられました』と書き、口をとがらせた。嬉しい気持ちはピンク、悲しい気持ちは青、どちらでもないことは黄色の付箋に書きたいらしい。付箋を次々にめくり、娘はどんどんとできごとを書き足していった。『せんせいツノはえてた』『こんどはおえかきをするからたのしみ』『こはるちゃんのこうさくがかんせいしてうれしかった』。やがて原稿用紙にカラフルな付箋の花が咲き、それが大きくなるたび、私達は顔を見合わせ、笑いながらおしゃべりをした。書いて、消して、たずねあって、言葉を選んで書き直して。いつもよりゆっくりと、じっくりと。私達は原稿用紙の上で触れ合い、同じ世界を感じ合うことができた。
「これを順番に並べて、この紙に書いたら作文になるの」
 一か月も経つと、娘は原稿用紙を埋められるようになっていた。最初は『うれしかったです』一辺倒だった文末も、『とびあがりました』『ぎゅっとだきしめたくなりました』と動きを持つようになり、私は読むたびワクワクさせられた。作文を書くようになってから、私達のコミュニケーションは格段に深いものとなり、娘は以前にも増して私によく話しかけてくれるようになった。私も自身の障害特性と向き合い、聞き方や、やり取りの進め方を工夫するようになっていった。娘を知りたくて始めた作文は、娘も私も成長させ、親子の絆をもより強く結んでくれた。私がASDでも、子どもの心の豊かさや社会性を損なわせず育てることはできるかもしれない。作文で、そのための道標を得た気持ちだった。
「もっと他の人にも発表したい」
 娘がそう言いだすのに、時間はかからなかった。私は小学生でも応募できるコンテストを探し、一緒に募集要項を読むことにした。コンテストによって、テーマは多岐にわたる。取り組むたび、娘の新たな一面を知り、時には笑い、時には泣いた。作文を通してつながった私達の世界。これからも娘は、書き続けたいと言ってくれた。
「また作文書いたよ!」
 今はまだ、私へ向けられている視線。コンクールを通して、広い世界に思いを発信できる視点に気付いてくれたらいいなと思う。書くことを通して、自分を見つめ、周りを見つめ、日々何かを感じ取りながら、豊かに生きてほしいとも。作文を通して、共に成長していきたい。それが、今の私の願いである。

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