「今回も不合格。なんで? 頑張ったのに」
娘の声がスマホから消え入りそうになる。
こみ上げる涙とともに鼻をすする音が大きくなり、声はかすれ、時々咳き込んだ。
「私はな、自分のためじゃなく、僻地という医療の狭間に光を授けたいだけなんよ」
悲しみにくれた声を絞り出して告げると、
「私の願いが天に届くまで、諦めんから」
と、気持ちを切り替えるように不合格通知を封筒にしまう音と共に、電話は切れた。
三十歳を迎える薬剤師の彼女が、医学部受験を決意したのには理由がある。
五年前のこと。仲間とバレーボール中、両膝に激痛を覚えた私は診察を受けようとした。ところが、岡山と兵庫の県境にある地方病院には、大学病院からの医師は週に一度しか訪れない。痛みをこらえ、その日を待ち、診断結果までに、さらに一週間。半月板損傷と診断されたものの、通院しても好転せず、車椅子で大学病院への通院が決まるまで三ヶ月。
大学病院の廊下で私の車椅子を押す娘が、
「どんな片田舎に住んでいる人にも、医療サービスを平等に受ける権利はあるはずじゃろ。じゃから、微力でも私が道を拓きたいんよ」
と、突然、語気を強めた。
驚いて振り向くと、目にいっぱい涙をため、「私は、お母さんみたいな人を一人でも助けたいんよ。三十歳でも女でも、人生は一度きりじゃから、自分の願いに挑みたいんよ。それが誰かを幸せにできるなら本望じゃわ」
と、はにかみながら微笑んだ。
その日から、街の調剤薬局に勤める娘は、一人暮らしのアパートへ帰宅するや、すぐに問題集を開く。風呂と食事以外は全て受験勉強に時間を費やした。寝る前には、英単語や化学式を覚え、TOEICで英語力を磨いてゆく。物理の参考書も赤線だらけになった。
お化粧も恋もおしゃれも封印、一心不乱に机に向かう。LINEに届く懸命な様子に、体を壊すのではと心配になるほどだった。
だが、三年間、願いは届かなかった。国立専願の娘には受験回数も限られる。
ある時、娘が私にくやしまぎれに訴えた。
「何度も落ちて。私の願いは、わがまま?」
ふと、私が高校三年の時、進路指導の生物担当の男性教諭から教えられた言葉が蘇ってきた。
「訳と意味。君はこの言葉が分かるか?」
母が高校一年の春、癌で亡くなり、主婦兼女子高校生になった私は、家事と学業の両立に苦しんでいた。まだ、電子レンジもオーブンも冷凍食品も普及していない村に暮らし、一時間に一本しかない電車で通学する生活は、父と妹のための食事作りや洗濯などに追われ、夜、机に着く頃には疲労で居眠りの日々。翌朝急いで家族の朝食、弁当を作り駅へと走る。
その毎日を嘆き、同級生たちが部活に情熱を注ぎ、家族の送迎や支援で塾や受験勉強に専念できる姿を妬む私に、教諭は無言で立ち上がった。
ゆっくりと窓のそばに寄ると、進路指導室から見える大きなイチョウの木を眺めて静かに言った。
「今の自分には『訳』があり、それは、将来の自分への『意味』があるからですよ」
ポカンとする私に、彼は私の目を凝視した。
「君の今は、お母さんが亡くなられた『訳』で、困難の連続だと思う。でも、それは、君が将来、どんなことにもへこたれない人間に育つ『意味』があることだと考えている」
教諭はイチョウに目をやって続けた。
「命あるものには、存在の『訳』があり、それが将来、何かの力や学び、実りへと昇華してゆくもの。だから、現実だけを見て、ピンポイントに嘆くのは近視眼的すぎる。俯瞰的に見てごらん。物言わぬイチョウにも、存在の『訳』と『意味』があるんだから。だから、自分の願いや夢を目の前の結果だけに振り回されて見失ってはいけないよ」
くじけそうになるたびに、支えられた言葉。娘が不合格になるのには『訳』があり、それは、将来への『意味』を含んでいるのだ。
私の言葉を黙って聞いていた娘は、
「不合格は、私に何かを教えてくれているんやね。私の願いは、より多くの人のために叶えたい。願うって不思議と力が湧いてくるね」
と、何度も頷いた。
それからまもなく。
「お母さん。この封筒の中を見てください」
目の前に差し出されたA4サイズの青封筒。
怖ず怖ずとのぞいた中に、「合格」の文字。
「長い時間かかったけど、それは私の願いに必要な『訳』と『意味』を悟る貴重なプロセスだったんよね。大きな心で頑張るぞぉ」
あの日、嬉し泣きで顔中を濡らした泣き虫の娘は今二年生、この秋から解剖実習に入る。