「こんな仕事、普通女がやるもんじゃねえよ」
マンホールに入ろうとする私に上司が言う。この日は下水道点検。深さ十五メートルの穴に入るのは危険が伴う。死んではならない。安全ベルト以上に引き締まるのが気持ち。そんなことがもう十五年になる。
もともとは保育士をしていたがやめた。父が大工をしていたこともあり、建築関係の仕事に興味があった。だが「やりたい事」と「できる事」には乖離があった。どこの建設会社を受けても「女だから」と門前払い。「普通はね」と言われたことは数知れず。
初めて作業服に袖を通した時だってそう。「女のサイズがない」と言われ、男性用のニッカポッカを渡された。足がつんのめるほどのダボダボの服。これでは仕事にならない。だが袖をまくろうとすると「夜間は悪いヤツもいるんだ。男っぽくしとけ。こんなとこに女がいるなんて普通じゃねえんだから」とピシャリ。息子が生まれ、保育園から発熱の連絡を受けた時もそう。
「これだから女は役に立たない。そんなのは実家がやるのが普通だろ」
上司の言葉にショックを受けた。その月は呼び出しが既に七回。これ以上迷惑をかけるわけにいかない。そう思い、好きな会社ではあったが退職届を出した。
それからしばらくして、別の建設会社に就職が決まった。初出勤の日、私は社長から新しいニッカポッカを受け取った。
「うちの従業員に女性も男性もない。ひとつの戦力として期待してる。今日からよろしく頼むよ」
女性用サイズのニッカポッカを手渡した社長は、私の肩を優しくたたいた。これまでは手足をすっぽり覆っていた袖や裾。だけど今度はピッタリフィットする。何だか初めて『身の丈に合った』生き方ができた気がした。
しかしこの会社、社長が来る前は女性専用のロッカーもトイレもなかったらしい。現場に行けば、「トイレするから、向こう向いといて」なんて言うこともしょっちゅうあったとか。男女共に使用できる快適トイレを設置したのも社長の発案だ。
「男女問わず色んな人がいる現場は色んなアイデアが出るからね」
誇らしそうに語る社長のまなざし。それは性別よりも心を見ていた。
この日は八階建てビルのロープ作業。いざ落下防止装置を付けて作業に入ろうとした時だった。
「保育園から電話らしいぞ」
同僚の言葉に嫌な予感がした。今月の呼び出しはもう六回目だ。案の定、電話に出ると息子が嘔吐したとの事だった。私は少し考えた。この現場はギリギリの人数でやっている。だから。午後は風が強くなるので今しかない。だから。息子は受診が求められる。だから……。
「社長。ちょっといいですか」
私は全部話した。だけど途中「これだから女は役に立たない」と言われた過去がよみがえって、怖くなった。
「すみません……」
そのあとはもう言葉にならなかった。「普通に仕事ができなくて申し訳ない」とか「これ以上迷惑をかけられない」と言いながら大粒の涙をぬぐった。するとそれまで黙っていた社長が口を開いた。
「君ね。仕事は皆で助け合うものなの。遠慮しないで行きなさい。それに子どもは風邪を引かないのが普通なの?仕事は休まないのが普通なの? もう『普通』って言葉は禁止! いいか! 社長命令だ」
語気の強さにやさしさが滲む。私は着替えるふりをして更衣室で泣いた。嬉しくて、申し訳なくて、ありがたくて泣いた。
今や世の中に溢れる『普通』。年齢、性別、見た目。あらゆる所にそれはある。
「高校くらい出るのが普通」
「パイロットは男がなるのが普通」
だけどその『普通』は、きっと、誰かの苦痛になっていることを忘れてはならない。誰だって「そんなの普通じゃない」と言われたら悲しいし、悔しい。それに何が普通かなんて人それぞれ。正解はないし、むしろあってはならない。だからこそ『ちがった視点を同じ目線で』考えようとすることは大切なのかもしれない。多様性が叫ばれる今なら、いっそう。
あれから社長は定年退職し、今年から娘さんが社長業を引き継ぐ。
「普通は男がやるもんだと言われますけどそうでしょうか。普通という言葉が不通になる。そんな世の中になって欲しいですね」
お父さん譲りの熱いまなざし。私の願いも、おんなじだ。