中学生の部

佳作

手紙
市川学園市川中学校 1年 —

 私はいつも自分の机を整理する時に、たいして大きい机でもないのに必ず丸一時間ほどかかってしまう。過去に寄り道をするからだ。
 私は物心ついたころから、もらった手紙をとっておく習慣があった。きっと小さいころは、ただただ自分あてに手紙が来たのが嬉しくて保存しておいたのだと思う。しかし、成長するにつれ、人からもらった「想い」を簡単に手放したくなくて、手紙を保存しておくようになった。私は父の仕事の都合上、海外に行くことが頻繁ひんぱんにあった。その時々でクラスメイトから手紙をもらったりと、人より手紙をもらう機会が多かった。
 今年の夏休み、そうじの途中でふと目に入った手紙や寄せ書きを読んだ。読み始めた瞬間、あの時に一っ飛びできた。あの人の笑顔が、その人との他愛ない会話が、写真や動画よりずっと鮮明に、強く蘇った。小学二年生の時に転校していった友達からの手紙、寄せ書きにまぎれた好きだった人からのメッセージ、幼稚園の先生の丸っこい、優しさの中に強さを感じさせる字で綴られた手紙。たくさんの「想い」が私を「あの時」に連れ戻してくれた。
 私は小学四年生のとき、生まれて始めて自分宛に手紙を書いた。「二分の一成人式」の企画で、二十歳になった自分宛に手紙を書くのだ。いざ手紙を書くとなると、何を書けばよいのか分からなくなってしまって、大した文章は書けなかった。もっとこった文面にしたかったので、当時は悔しく、また残念でもあったが、今はそれでも良かったかな、と思う。それがありのままの小学校四年生の私なのだから。
 手紙は、人と人を、過去と未来を、自分と自分をつなぐことができる唯一無二のツールであり、物事の間に渡すことができる橋なのだ。筆跡や、言葉遣いなどから、その時のその人らしさがあふれ出て来て、それが橋として形を成すのだ。なにも便箋びんせんつづられ、封筒に包まれたような手紙じゃなくても良い。自分が過去に書いた作文や日記にも同じことが言える。文字を書き残すという行為そのものが、未来へ、人へ、自分への橋渡しなのだ。きっとこのエッセイもまた、私やあなたにとっての手紙となることだろう。

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