中学生の部

佳作

今の幸せ
八幡市立男山第三中学校 2年 雑賀 琴音さいが ことね

 私の大好きな叔母は躁鬱病そううつびょうわずらっている。私と同じ中学二年生の時に発症したんだと母が教えてくれた。叔母は、母の妹だ。
 私の母と叔母は起伏の激しい母親のもとで育った。会った事はないが私の祖母だ。家庭内でも、つねにイライラし激情する祖母は、家族間でも良い関係を得られずストレスから買い物依存に走り、多額の借金をし浮気をして出ていったそうだ。
 その時私の母は成人していたが、妹である叔母はまだ中学生だった。家では元気な叔母はある時、原因も分からず突然学校へ行けなくなったそうだ。周りからはサボリの様子にしか見えず、母もなぜ行かないのかと叱る日もあったらしい。だけど学校には行けなかった。その後、叔母は鬱病と診断され、また数年後、「躁鬱病」である事が分かった。
 躁鬱病は、異常に気持ちが興奮してしまう時もあれば、突然死にたい程落ちこんだり、泣き叫んだりしてしまう、とても辛い心の病だ。そして治る事は無い一生付き合っていく病気らしい。
 今、叔母は、結婚し祖父の家で三人で暮している。子供を育てる事は自分では出来ないと言い、私や妹を本当の娘の様に愛してくれている。私も叔母が大好きだ。私と同じ年の頃、母親が居なくなる苦しみを想像するだけで胸が痛くなった。私も今、母が居なくなったら心が潰れてしまいそうだ。
 母と叔母は今も母親に会うだけの勇気は無いのだと言っていた。心が乱されて、今ある平和な日々が変わってしまう恐怖があるのだと言う。実の母だけどもう二〇年近く連絡を取っていないそうだ。
 私は「血のつながり」とは無条件の固いきずなだと思っていたけれど、人と人とは、血のつながりのある無しに関わらずどれだけ相手を大切に想えるかだと思った。血がつながっていても一人一人は全く違う他人で、だけどどれだけ大切に想い、行動出来るかによって絆はどんどん固くなっていく。私は家族、そして友人をその人の立場になって考え、大切にできる人になりたいと思った。自分の大切な人を傷付ける事が無い様に。
 夏休み祖父の家に行った。叔母や叔父も一緒にトランプやゲームをして大笑いして遊んだ。
 叔母と少しだけ病気の話をした。叔母は今も薬を飲みながら、気持ちのコントロールに苦戦し、必死に生きているのだと思った。私の前では、いつもニコニコしているけれど、私には分からない苦しみを沢山抱えているんだろうと思った。仕事が出来ない苦しさや普通の人生を生きてこれなかったもどかしさ。
 そう思った私に、叔母は言ってくれた。「父や姉、旦那さん、そして私達姉妹が居てくれるから私はすごく幸せ」と。私はそんな風に思える叔母に強さを感じた。
 私は私が今大切に想う人達とのつながりを大切に生きたい。大人になって叔母の様に「私には大切な人が居てくれるから、今とても幸せだ」と、そう言える様に。

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