私には、祖母がいる。祖母は、植物に関してとても詳しく、春夏秋冬に咲くたくさんの花の名前を教えてくれる。そんな、植物を通じた「小さな祖母とのコミュニケーション」が、私は大好きだった。
ある日、祖母は、「私の好きな花はね、名前は分からないんだけど、花びらが橙色をしていて、花が垂れ下がっていて、とてもきれいなんですよ」と言ってくれた。
私は早速、図鑑を取り出してその花の名前を徹底的に探すことにした。そして、やっとその花が「ナガミヒナゲシ」であることがわかった。花の印象が、なんとなく祖母の性格に似ていて、ガッツのある可憐な花に思えた。
それから私は、ナガミヒナゲシについて、実物を見て実際に大きさや匂いを感じたり、どのようにして種を飛ばすかなどを調べた。
そして私は、早く祖母に会って、祖母の好きな花がナガミヒナゲシだったこと、その花を実際に見たり、触ったりして感じたことを、今度は私が祖母に教えてあげたかったのだ。
しかし、新型コロナウイルスの影響で、三月から五月までの期間、緊急事態宣言が出されて、祖母に会いに行きたくても会えない状況になってしまった。マスクをする日が増えて、祖母が毎日元気でいるかがとても心配になった。その時、初めてあの時の「小さなこと」が「大きなこと」だったのだと確信した。
そんなある日、一通のハガキが届いた。祖母からだ。私はそれを、奪うようにして母から取り上げた。
「こんにちは」
いつもの手紙の出だし。「昔と変わらず元気にやってるんだな」。そう思うと、心配だった気持ちが一瞬にして消えた。読み進んでいくと、最後には、「私は、あなたにお手紙を書くだけで嬉しいので、たまには、お返事をくださいね。お元気で」と、丁寧な言葉使いで締めくくってあった。コロナが落ち着いたら、また、昔のように花に関して、色々と会話がしたいと思った。
祖母のくれた手紙は、「人とコミュニケーションをするうえで、直接会うことが全てではない」ということを私に教えてくれた。
私は、コロナ禍で苦しむ人々に対する応援ポスターのキャッチフレーズを思い出した。
「離れていても心はひとつ」
離れていたって、相手を思う気持ちが途絶えるわけではない。家族というのは言葉で表さなくても、すでに見えない「糸」でつながっているのだ。
人は、今日もその「糸」の上で生きている。