選考委員講評

選考委員長

あらためて「つながり」の意味を問う時代
山極 壽一やまぎわ じゅいち 総合地球環境学研究所所長・人類学者/京都大学名誉教授

 二年以上にわたって新型コロナウイルスによるパンデミックにさらされ、私たちは多くの制限を受けています。緊急事態宣言やまん延防止等重点措置によって、卒業式や入学式が中止され、授業や職務がオンラインになり、スポーツ大会や音楽会が延期され、最悪の場合は学校や職場が閉鎖される事態になりました。人々は常時マスクをして会い、レストランで同席する人の数も制限され、不要不急の出張は自粛するように要請されて巣ごもり生活を余儀なくされました。とりわけ病院や介護施設に入居されている高齢者の方々に直接会うことが難しくなりました。場合によっては、亡くなる方に最後のお別れをすることもできなくなっています。明らかに、これまでの人間の歴史にはなかった新たな社会の危機を迎えています。
 人間の社会は、動く自由、集まる自由、語る自由という三つの自由によって成り立っていると私は思います。日々私たちは出会うことによって新しい気づきを得る必要があるからです。それが新しい発想をもたらし、過去や現在を未来へとつなぐのです。それらの自由が制限されてしまった今、私たちは過去の歴史を振り返りながら人間の社会に必要なことは何かを考えていかねばなりません。
 さて、今年の徒然草エッセイ大賞のテーマは「つながり」でした。私たちが現在置かれている状況にぴったりのテーマだったと思います。「つながり」とは何か。応募された方々はさまざまにつながる対象を頭に浮かべました。
 小学生の部は、家族や友達とのつながりを対象にした作品が多数ありました。それを強く感じたきっかけは家系図や遺伝といったつながりであったり、手紙やけんかやスポーツを通じた交流であったりしたようです。やはり家庭や学校での出会いや出来事から多くの気づきがありました。審査委員の間で評価が分かれ、どの作品に賞を与えるかで随分苦労をしました。大賞に輝いたのは「元気にしていますか」という作品で、幼い頃に訪れた故郷の島でひいおばあちゃんに会い、それ以来手紙を通じて交流をしながら気がついた人とのつながりの大切さをつづっています。手紙が記憶を現在につなぐうれしさが生き生きと描かれています。
 中学生の部でも家族をテーマにした作品が圧倒的に多かったと思います。おじいちゃんやおばあちゃんの死をきっかけにして、人とのつながりがこの世では消えても自分の中に残っていることに気がついたようです。この年代は肉親の死をきっかけにして、死と初めて向き合った経験が大きなインパクトを与えているのだと思います。
 大賞の「スーパーじいじ」という作品も九九歳で大往生だいおうじょうげられたおじいさんの思い出で、その姿を見届けた強い思いがしっかりと語られています。人の最後を対面で看取みとる大切さがひしひしと伝わってきます。学校の先生からも貴重な助言をもらい、音楽、スポーツ、ゲームやテレビを通じて自分の能力や人とのつながりの意味や楽しさに気づいています。また、植物、料理、服などを通じて身近な人ばかりではなく、より広い人々とのつながりに気づいた作品もありました。自然の印象、好き嫌いといった自分の見方を考え直し、倫理について思いをめぐらした作品もありました。この世代の共感力と認知能力の発達についてとても重要な特徴が現れていると感じました。
 一般の部はさすがに長い時の流れを感じさせるような作品が目立ちました。おばあちゃんがかつて過ごしたロシア、高祖父の時代、父の原爆体験、自分の子ども時代や出産体験を振り返った話など、人生の中で記憶とともに大切なつながりが浮かび上がっています。ニューヨークの同時多発テロやブータンの体験など国際的な広がりもありました。また、つながりを作る手段である手紙、電話、アルバム、コインランドリーの書き込みメモなどを扱った作品や、タクシーの運転手やバスの乗客に思いがけない救いの手を差し伸べてもらった思い出など、つながりがこれほど多岐にわたって作られるものかという人間社会の仕組みに改めて感心させられました。
 大賞として多くの審査員が一致したのは「すみれの花束」という作品です。幼い頃に母に読んでもらった絵本をきっかけに手紙の大切さに目覚め、それが「相手を待つ時間」であるというSNSとの違いに気づいていく話の展開が素晴らしい。まさにこの徒然草エッセイ大賞にふさわしい作品であると思います。
 この二年あまりの窮屈な暮らしは、私たちにさまざまなことを気づかせてくれました。これまで対価を払わずに済ませてきた育児や介護を含む数々の家事が、社会生活を送るうえでとても大切であることもわかったし、私たちの生活を支えているエッセンシャルワーカーの方々の重要さもよく理解できるようになりました。合わせてこれまでの家庭と学校や職場との間を往復する暮らしや、都会にすべてがあると思い込む価値観もらいできました。改めて人間どうし、人間と他のいのちのつながりを時間と空間のスケールを広げて考え直さなくてはならない時代を迎えていると思います。
 今回の作品にも子ども食堂や食を通じたつながりの描写がありましたが、これからは共助が幸福な社会づくりに重要になると思います。今回の徒然草エッセイ大賞はそれを深く考えさせてくれる機会となりました。改めて八幡市をはじめ関係者のみなさま、参加者のみなさまにお礼を申し上げます。

選考委員

ゆかりの地に集うきずなを通して
茂木 健一郎もぎ けんいちろう 脳科学者

 相変わらず大変な時代が続いているが、人は、自分を振り返ってこそ希望を見出すことができる存在なのではないか。エッセイを綴ることの大切さ、可能性を改めて感じさせてくれる素晴らしい作品が集まった。
 小学生の部、大賞の『元気にしていますか』は、ひいおばあちゃんの島を訪れた著者のみずみずしい感性が魅力。優秀賞の『仲間』は支え合うことの大切さを、『なみだの別れ』はものをいとおしむ気持ちを、そして『死ぬことは生きること』は人と人との心のつながりを巧みに書いた。佳作の『一枚のカード』は歴史の中の人物に対するオリジナルな視点が光っていた。
 中学生の部、大賞の『スーパーじいじ』は、かけがえのない人との別れを繊細せんさいに綴る。優秀賞の『見えない「糸」』はコロナの中での人との絆を、『まわりまわって八幡巻やわたまき』は土地と人との思わぬ縁を、『そして古着は海を渡った』は世界をつなぐ関係性について描く。佳作の『うざいから。』は心の機微きびを精細にとらえ、『似ている』は観察眼が見事であった。
 一般の部、大賞の『すみれの花束』はSNS時代における人とのコミュニケーションについての深い洞察がある。優秀賞の『お色直し』は人生の細部に宿る小説的興趣きょうしゅを、『雨降りバス日和』は人と人とのふれあいを、そして『オババ』は忘れがたい個性を描く。佳作の『一本の素麺そうめん』はひとりの人生の簡単には見えない奥行きをとらえて、読後感が深かった。
 吉田兼好はどんな人だったのだろうと、時々考えてみる。人を織りなす重層は、空よりも高く海よりも深いということを知っていたのではないか。兼好ゆかりの地に文章がつどうこのコンテストが、人間のイメージを広げる意義を改めて実感する。

言葉に託した思い
中江 有里なかえ ゆり 女優・作家・歌手

 言葉とは人とのコミュニケーションのために使うものですが、使い方を間違えると、相手を傷つけたり、困らせたりすることもあります。今回のテーマ「つながり」は元来の言葉の役割に通ずるもの。小学生の皆さんには少し難しかったかもしれませんが、ちゃんと「つながり」を感じるエッセイになっていたと思います。
 小学生の部「元気にしていますか」は、長らく会えていないひいおばあちゃんに手紙を書き、返事を待ちわびる喜び。かつて訪ねた浮島の景色が浮かび、奥行きのあるエッセイと感じました。
 中学生の部「スーパーじいじ」は、大往生した祖父「スーパーじいじ」と過ごした三年間がぎゅっと濃縮されたエッセイで、無駄はないのに、余韻も感じさせてくれます。
 一般の部「すみれの花束」は全編にわたる清涼さに魅せられました。同じ日本語をつづっても、言葉にはその人らしさというものがあらわれてくると思います。作者が大事に思うものを大事にしたい、と感じました。
 自分以外の誰かが感じたことを、エッセイを通じてまるで自分事のように思う。それもまた言葉が成せること。
 どんなにすぐれたAIが誕生しても、今も昔も言葉から人の思いをみ、自分自身の気持ちを言葉に託して伝えられるのは人間にしかできないことです。
 みなさんの心を伝えて下さって、ありがとうございます。

現実の世の中を「つないでみる」
田中 恆清たなか つねきよ 石清水八幡宮宮司

 何はともあれ、つながることは良いことだと、私たち日本人は理屈抜きで考えます。神仏や先祖、家族とのつながり、自然や社会とのつながり、職場や学校で結ばれた仲間たちとのつながり……。今回寄せられた多くの作品にも、そうした言わば「良いつながり」にまつわるエピソードが数多く紹介されていて、読者の心もほっこりぬくもります。
 けれども、現実の世の中は、尊い神仏の世界に通じる「清く明るい」道ばかりとは限りません。魔界へ引きずり込もうとするようなやからも、善良な市民とのつながりを求めて四方八方からみにく触手しょくしゅを伸ばしてくる。時には、そうした「悪いつながり」をバッサリ断ち切る勇気や実力も必要でしょう。
 天災にい、電話もインターネットも全て「つながらない」状況におちいった時の焦燥しょうそうと不安、逆に日常生活の中で不意に得体の知れない存在と「つながってしまう」=感染してしまう恐ろしさ。現代に生きる我々の多くは、特に〝コロナ禍〟以降、周囲との距離を微妙に保ちつつ、日々綱渡りのような危うい生活を送っているのではないでしょうか。そうした現実の世の中を「つながり」というテーマに「つないでみる」と、その向こうにどういう風景が広がっているか、という辺りに、徒然なるままに筆をる楽しみもあるように思います。
 今回も素晴らしい作品をお寄せくださった全ての皆様に敬意と謝意を表し、本稿の結びとさせていただきます。

特別選考委員

無限の命とつながり
瀨川 大秀せがわ たいしゅう 総本山仁和寺第五十一世門跡

 人生には不思議な、目に見えない縁の糸で結ばれた出会いがあり、そのご縁を大切に育て花咲かすのは自分の努力ではないでしょうか。
 さらに、全てのものとつながり生かされている自分の命に目覚めた時に、人生の価値が変化いたします。
 このたびの作品はすべてが力作であり、コロナ禍で厳しい生活を余儀なくされた中で、家族愛や友人の大切さを通じて、今後人々が前向きにどう生きればよいのか、示唆いただいた感があります。
 小学生の部ではコロナ禍の中で、会えなくなった祖母との関係を手紙により、心の触れ合いを大切にした「つながり」を見事に表現されています。
 中学生の部では日々の生活を共にする家族を通じて、人生を生き抜いた祖父の生き方を学び、はかなさ、空しさを体験されて、家族は縁の糸で結ばれている命の尊さを感じつつも、同じでない個々の時間の流れを自覚されたのではないでしょうか。
 さらに学校での部活動を通じて自分中心ではなく、仲間を受け入れ相手を尊重する行動により、大きな集団の力が生まれる「小我から大我」への方向転換の大切さを体得されています。
 一般の部になると視点が人生を歩んだ実体験に立脚した説得力があり、比喩や具体的な事例を組み入れた内容に興味が広がります。
 作品を読んでいると自分の人生に置き換え、多数の思索が重複する部分があり、幅広く学習させていただきました。
 自分の命は無限の命とつながり、多くの人々に生かされていることを認識いたし、深く感謝いたしました。
 この度の作品は全体を通じて、一作一作が水晶念珠ねんじゅのごとく明澄めいちょうの輝きをもち,連綿としてつながり、多くの感動を与えていただきました。ありがとうございました。

審査選考について

甲乙つけがたい秀才ぞろい
寺田 昭一てらだ しょういち PHP研究所月刊誌「歴史街道」特別編集委員

 第五回徒然草エッセイ大賞は、昨年度の第四回に続いてコロナ禍の中での募集となりました。令和二年の冬に始まった新型コロナウイルスの感染拡大が収束するどころか、より混乱の度を深め、社会的にも個人的にも様々な制限が課せられる中での募集となりましたが、一般の部一七九五作品、中学生の部三四二作品、小学生の五九六作品の秀作が全国から寄せられました。ここでは選評にかえて、選考過程をご紹介しましょう。
 徒然草エッセイ大賞は、四回の選考過程を経て授賞作を選んでいます。まず、応募規定を満たしているか、文章としての推敲すいこうがなされているか(誤字・脱字も含めて)、という点を中心に、各作品をプロのライター、編集者数名で評価する事前選考を行ない、一般の部二一七作品、中学生の部九七作品、小学生の部七五作品を一次選考作品として選びました。一次選考では、各作品を八幡市関係者三名、PHP研究所の編集者二名の計五名がそれぞれ五段階で評価。その総合点をもとに、二次選考では月刊誌「PHP」「歴史街道」「Voice」、月刊文庫「文蔵」の各編集長及び編集長経験者により、再度、文章力・表現力・内容を精査して、一般の部、中学生の部、小学生の部それぞれ二〇作品を最終選考作品に選定しました。そして最終選考では、七名の選考委員が、それぞれの作品を五段階で評価した上で、総合点をもとに山極壽一選考委員長を中心に再度精査を行ない、各部、大賞一作品、優秀賞三作品、佳作五作品を授賞作品として決めました。
 本年度の応募作品は、自由に移動したり人と会ったりできないコロナ禍の生活が続く中で、生き方や考え方を様々な角度から見つめなおした秀作ぞろいです。甲乙つけがたい作品ばかりで、選考にあたりながら感動と学びをたくさんいただきました。ありがとうございました。

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