夜のコインランドリーが好きだ。店内は乾燥機の熱でほんのりと蒸していて、それを和らげるための扇風機が二台回っている。ジャポン、ギイー……、ジャポン、ギイー……。水と衣類がゆっくり交わる心地良い音が一定の間隔で流れる。洗剤のやわらかな香りが充満している。今日もこのノートを開く。
ここに通い始めたのは、対人関係が原因で身体を壊し、会社を休職して少し経った頃だった。また駄目だった。いつもうまくやれない。人の目が怖かった。
一人で部屋に居ると鬱屈の波が押し寄せてくる。頭と目が黒いもので覆われていく。
社会から切り離された恐怖、元いた世界に戻れる日は来るのか、このまま良くならないなら貯金も尽き、いずれは住む場所も食べるものもなくなってしまうのだろう。
そんな時期に辛うじてできた事といえば、社会で正しく生きる人たちに見つからないよう人けのない夜の時間帯を選んで、只ひたすらに近所を歩くことくらいだった。同じ場所をグルグルと何時間でも歩いた。そうすると靴がすぐ汚れ、長時間履き続けるものだから嫌な臭いがこびり付くようになった。最初は自分で洗っていたが、あの独特な臭いは簡単には落ちず、服と違って一旦洗ってしまうと、乾くのにも時間が掛かって面倒だった。そんな時にこのコインランドリーを見つけた。靴専用の洗濯機があるなんて知らなかった。一度に二足まで入れられて、洗濯は二〇分二〇〇円。乾燥は一〇分一〇〇円。
この店の待合テーブルには、客が洗濯の待ち時間に自由に書き込めるノートとペンが置いてある。見開き左ページは、客用の書き込みページ。最初の方は店舗を利用した感想や要望だけだったが、ページを重ねるごとに自身の日記、悩み、子どもが描いたであろうイラストなど、店には直接関係ない事柄が書き込まれていくようになった。そして見開き右側の店主の返信用ページには、それらひとつひとつの書き込みに丁寧に返信がなされている。
様々な書き込みがある中見つけたその人は、妻がうつを患い療養中だという。
《一番辛いのは妻自身なのに、近くで看病していると自分までしんどい気持ちになります。いつ良くなるかも分かりません。わがままと思いつつ、こうして吐き出さないとやっていられなくなります》
支える立場にある人の、素直な気持ちが綴られていた。
その書き込みには、店主だけでなくこの店を訪れた客からも多くのメッセージが寄せられていた。主に対する返信だということが判るよう、双方の書き込みの間には矢印の線が繋がれている。返信の数が多くなるほど主の書き込みから距離が離れ、その分線も長くなる。他の人の文字に被らないよう蛇行しながら縦横無尽にあちらこちらへと伸びる線は、隙間を縫うように伸びゆくツル植物のようでもあった。
ひとつひとつ、矢印を辿って読んでいく。
《過去自分がうつだった事がありますが、今思えば回りの人もすごく大変だったと思います》《こうして辛い気持ちを吐き出すのは決してワガママではないと思いますよ》《同じような立場です、気張らずおいしいものでも食べてのんびりやっていきましょう》《←焼きいもが美味しい季節になりましたね!》
末尾にニコちゃんマークや☆印を使って表情豊かな文章に仕立てる人、自分の後にも誰かが書くかもしれないとなるべく嵩張らないよう小さな文字を圧縮させる人――。
所狭しと書き込まれた返信の数々。そこにはアドバイスという名の仮面を被った上から目線の説教もマウントも、心あらずな形だけの同情も存在しない。それぞれがそれぞれに、気持ちを、経験を、同じペンを使って書き綴っている。直接顔を合わせることはなくとも、そこにある文章には確かに書き込み主を思う人間の体温が宿っていた。
どうやら一ヶ月ほど前の書き込みのようだが、今のところ主からの返信はない。あれ以来店には訪れていないのか、それとも書き込みこそなくとも既にこのノートを開いて見返しているのか。どちらにしても、ここには沢山の、貴方を、貴方の妻を思う人たちが存在している。
計三〇分の洗濯乾燥の終わりを知らせるアラームが鳴る。自分と主の書き込みを一本の線で繋ぎ終えてからノートを閉じる。まだ乾燥機の熱でホクホクと温かい靴を抱えながら店を後にすると、これまで只の容れ物にしか見えなかった通行人が僅かながら熱を帯び、じんわりと赤く染まるように見えた。同時に、靴の汚れと一緒に自分の目の前にある靄が、ほんの少しだけ取り払われる瞬間を感じた。私は人間が好きだ。