一般の部

佳作

約束の更新
千葉県船橋市 上杉 啓子うえすぎ けいこ

 昨日の約束は今日には果たされない。約束した事なんて、これっぽっちも覚えていないだろう。昨日の自分と今日の自分。そっくりな顔をしていても、本当は少し違っている。昨日より今日の方が一日分、年を重ねている。それは時には愛おしいことで、時には切ないことなのだ。
 久しぶりに実家へ帰省した。両親に会うのは一年ぶりだった。
 「ただいま」
 玄関から声をかけても返事がない。部屋へ行ってみると、父が探し物をしている最中だった。もう一度、ただいま、と言うと、父は、ああ、と心もとない返事をして、またすぐに何かを探し始めた。箪笥たんすの引き出し、買い物の手さげの中、押し入れの衣装ケース。少しふるええる指先で、悲しいほど何度も何度も同じ場所を探し続けている。
「何を探してるの?」
 と聞くと、
「みさ子のお祝い。今年は成人式をやったって、お前が言ってただろう」
 みさ子というのは私の娘の名前で、成人式は昨年済ませた。ご祝儀しゅうぎはその時にしっかりもらっている。私はとっさに、
「それならさっきもらったよ。だからもう探さなくていいよ」
 と言った。父はほっとした顔をして、そうか、と つぶやくと、大人しくソファに座り込んだ。
 会うたびに両親が小さくなってゆく。二人が居間のテーブルについて、背中を丸めてお茶を飲んでいる姿を、私は寂しく見つめている。
 大らかで細かい事を気にしない母と、口うるさくて厳しい父。いつでも眉間みけんにしわを寄せて他人への批判を繰り返す父が、私は苦手だった。相手の気持ちなどおかまいなく理詰めでねじ伏せる父の言葉に、私は度々たびたび傷ついてきた。思春期の頃には父とほとんど会話をせず、社会人になると父から逃げるように一人暮らしを始めたのだった。
 年月は人を変える。どう変わってゆくかは人それぞれだ。時の経過は父から責めたてる姿勢や強引さ、手厳しさを消し去っていった。そのかわりに与えられたものは、忘れてゆくことと、何かが出来なくなってゆくこと。少しずつ解き放たれてゆく父。顔つきは柔らかくなり、笑顔が美しくなってゆく父を、私はどう受けとめたらいいのだろう。
「そろそろこの家の物を片付けていこうと思うの。いつお迎えが来てもいいようにね」
 母が部屋を見回しながら言った。何を弱気になっているのよ、まだまだ元気じゃない、と私は軽口を叩くけれど、母の言葉に胸がつまった。
 旅行のアルバム。昔のレコード。しまったままだった客用布団。使い切れないもらい物の真新しいタオル。持て余す時間の中、力仕事も大変な二人が、それらを少しずつ縛っては誰もいない和室にまとめていたのだった。
「悪いけど、ゴミ置き場まで運んでくれる」
「いいよ」
 私にとっても思い出深い物たちを、何往復もしてゴミ置き場へと運んでいった。最後の荷物を運んだら、私は泣いてしまうかもしれない。
 最後の箱の中には、父の趣味だった一眼レフのカメラが入っていた。旅行、誕生日、元旦の朝、事あるごとに父は、そのカメラで家族や風景を写真に収めてきた。
「このカメラ、もう使わないの?」
「使い方がわからなくなったんだ。レンズも失くしたし」
「じゃあ私がこのカメラを貰ってもいい? 使い方を覚えてレンズも買うから、またみんなで写真を撮ろうよ。私の家族も連れてくる」
 私がそう言うと、父も母もピカピカした顔でうれしそうに笑った。その笑顔があまりにも澄んでいて、私はこの瞬間を決して忘れたくないという思いで、胸がいっぱいになった。
 次に会った時に写真を撮ろうと言ったことなど、両親はきっと忘れてしまうのだろう。けれども、どんどん穏やかに静かになってゆく二人に、私は何度でも約束して、何度でも寄り添う。
 遠くはないいつか、両親とお別れする日はやって来る。慣れ親しんだ場所、共に生きた人、好きだったものとさよならすることは、この世に生まれた誰もがもつ宿命だ。過去のわだかまりの全てに、私の中で整理をつけることは難しくても、今の二人の笑顔を記憶の中に刻んだら、私自身幸せだったのだと思える気がする。
 一緒に写真を撮る約束は、果たされるまで更新する。私は、カメラ越しに両親の人生を見届けるために、温かい写真が撮れるよう、学んでいこうと思う。

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