一般の部

佳作

物差し狂騒曲
大阪府箕面市 安部 瞳あべ ひとみ(43)

 今から四年前の、結婚式当日。初めて私のウェディングドレス姿を見た夫が放った言葉は、「綺麗」でも「素敵」でもなく、「デカ!」の一言だった。
 もともと背の高い私が、その日は髪をアップにし、その頭上には王女張りにティアラなんぞ乗っけていたのだから、そりゃぁ、デカかったことでしょう。夫の発言に誤りはない。だが、正解ではなかった。少なくとも、その時の私にとっては……。
 それから始まった夫との生活は、まるで異文化交流。スピード婚だった上に、趣味や考え方もかなり違う私達。日常の些細な事でも、私のストレスは日に日につのっていった。
 そんな中で起こったのが、「お寿司の乱」。ある晩、二人の大好物であるお寿司を食べていた時のこと。桶の中には残り一貫、二人とも大好きな、うなぎの握りが鎮座していた。
「良かったら、食べる?」と、私。
「いやいや、瞳さん、食べて食べて」と、夫。
「だって、うなぎ好きやん」。健気けなげに勧める私。
「瞳さんだって……」と、どこまでも謙虚な夫。
「いいから、ほら、食べて」
 私の勢いに押されて、夫は最後の一貫を口へと運ぶ……というのが、気遣きづかう夫婦として、私がシミュレーションしたやり取りだった。
 ところが――。実際には、口惜くちおな表情をたたえて「これ、食べる?」と私が聞くと、夫は「じゃぁ、食べよか」と、一瞬でラスト一貫を口へ放り込んだ。私は、呆気にとられると同時に、シミュレーションを微塵みじんに砕く、夫の想像力と気遣いのなさに腹が立った。その日から二日間、戸惑う夫を尻目に、私は無口を貫いた。そして三日目。無口生活に疲れた私は、仲の良い友人に電話し、「お寿司の乱」の真っ只中であることを報告した。
 すると、最後まで話を聞いてくれた結婚五年目の友人は、ポツリと意外な単語を呟いた。
「物差しやな」
 ん? どういうこと?
「モノサシって、定規のこと?」
「そう。人って、それぞれ、自分の物差しを持ってるやん。『普通はこうする』とか『これは当たり前』とか」
「まあ……そやね」
「自分の『普通』や『当たり前』が、他人と1センチずれただけで腹立つ人もいれば、1メートルずれても、そのずれを受け入れたり、楽しんだりできる人もいる」
「それ、結構難しい」
「確かに。でも一回、自分の物差しを横に置いて、相手の目線になってみたら?」
 私は、そんなに自分の物差しを相手に押し付けているのだろうか。自問自答の中、私は冷戦から和解へ、かじを切ることを決めた。
 その日の晩、帰宅した夫に、声をかけた。
「こないだのお寿司の件やけど……」
「はい、何で怒ってるのか、教えてもらえますか?」
「あの時、すぐに最後の一貫を食べたやん」
「はい」
「私も食べたいんとちがうかなぁとか、想像はしなかった?」
 すると、夫はビックリした顔で、こう言った。
「逆です、逆!つらそうな顔してたから、お腹苦しいんやなぁと思って、食べたんです」
 そうか。私の口惜し気な表情は、彼の物差しで「お腹一杯で苦しい表情」と判断されていたのか。一方的に戦いを吹っ掛けたことを謝り、冷戦は無事終結を迎えた。
「お寿司の乱」を経て、違う物差しを受け入れるには、対話が不可欠であることを痛感。
 これ以降、職場でも、私の世界は変わった。正確には、世界の「見え方」が変わった。
 例えば、挨拶をしない後輩を見て、「礼儀がない」と思う前に、「体調でも悪いのか?」と想像する。あんじょう、彼氏と別れたばかりで、ご飯もまともに食べてないと判明。ランチに誘い、今まで以上に仲良くなる……なんてことが起こった。相手の物差しを優先してみるという小さな心がけで、モヤモヤしていた日常が次から次へと、いとおしい出来事に変化していった。もちろん、自分の物差しをなくした訳ではない。
 今、コロナを機に、未経験のことが起こる中、私自身、相対する環境や人によって、争い一歩手前になることもゼロではない。けれど、物差しという刀で相手を傷つけないように注意し、相手の物差しを想像してみることで、世界はコロナ前より居心地が良くなると、希望を持っている。
 ちなみに、最近、夫に結婚式での「デカ!」発言について、改めてクレームを入れた。すると、夫は笑顔でこう言った。
「僕は、ドレスで着飾った姿より、普段着のほうが何倍も綺麗やと思ってる。だから、あの場で、綺麗という言葉が出なかっただけ」
 相手の物差しを大切にしてみる人生は、悪くない。

戻る
@無断転載はご遠慮ください。