小学生の部

優秀賞

女の子と私
八幡市立美濃山みのやま小学校 6年 水嶋 咲空みずしま さら

 アルバムをにぎりしめる手はあつかった。みょうに胸が高鳴った。私が生まれる前からある棚が、宝箱に見えた。その中でも、 神神こうごうしい光を放っていた無地のアルバム。なんとなく開いた。
 最初は赤ちゃんの写真、私か弟かも分からなかったが、なつかしいふんい気を感じた。次のページに答えはあった。まだ立つ事もままならない、女の子の写真だった。「私だ」。べらぼうにウキウキしてきた。ページをめくる手も、あつくなった。
 うさぎのぬいぐるみをかかえる写真や、ショートケーキのいちごにかぶりつく、顔ドアップの写真には笑った。他人目線で目を動かした。ページをめくるほど、「女の子」は大きくなっていった。口をあけてねている写真には、バカにするように笑った。まぁ自分なのだから、私もバカにできる立場じゃない。ページをめくる手は止まらない。その時の私はいわゆる「夢中」だった。棚の整理なんかそっちのけでまばたきもしなかったかもしれない。
 一枚、可愛らしい写真を見つけた。キャラクターの着ぐるみのお腹に顔をうずめてだきつく写真だった。今の私にはこんなに可愛い事できないだろう。写真をとっておしまいだ。昔と今、どちらの対応がいいか、昔のように心から楽しむのも悪くないかも、いや、いいのではないか。厚さ六センチのアルバムには、さまざまな私がいた。
 きっと今の私の方が考えは深いが腹黒い。幼い私は、「ばか」なのである。これが私の発見だ。いったい昔と今の間に何があったのだろうか。次はいつアルバムを開こうか。かっこつけて二十才になった時でも……と思っていたが、一週間後、私は、宝箱の中の神神しい光を放つお宝を、あつい手で、ふたたびにぎりしめていたりする。

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