「まったくもう、いいかげんにしなさいよ、おこるよー」
キンキンと耳に響いた言葉に、どきりと心臓がはねる。ため息まじりの「まったくもう」に始まり、後半にかけて自ずと語気が強まる口調。まさに私だ。客観的に聞いてみると新たな発見がある。そうか、こんな風に聞こえるんだな、もうちょっと優しくしよう。そう思いながら、ぬいぐるみ相手に私の口調を真似る娘の頭をわしゃわしゃと撫でた。
二歳の娘を見ていると、毎日発見の連続である。時には開拓者のように新しい視点を与えてくれるし、またある時には考古学者のように埋もれていた感覚を掘り起こしてくれる。おかげで私は風の匂いで雨を予感し、公園を散歩するてんとう虫を一時間も尾行し、両手のひらで絵の具を塗りたくる。家事は全くと言っていいほど捗らない。
娘が生まれてから、私は生まれ変わった。以前の私は、キリのない仕事に追われ、分刻みのスケジュールが狂うことに怯え、社会への不平不満を呪詛のように呟きながら生きていた。夫との夕食は二十二時や二十三時になることもざらで、出来合いの惣菜をつつきながら仕事の愚痴を漏らし合った。その日の空の色がどんなだったか、帰り道に何色の花が咲いていたかなんて気に留めたことも、また、そうする暇も無かった。しかし娘が生まれてからは、娘が伸びをする気配で目を覚まし、まあいっか、死にゃあせん、が口ぐせになった。
そんな風に私を生まれ変わらせた娘は約五ヶ月前、姉という肩書きを手に入れた。我が家の第二子、息子が生まれたのである。娘は、日に日に大きくなる私のお腹を撫でながら、弟の誕生を心待ちにしていた。深夜にもかかわらず出産に立ち会い、私の手を握り「がんばれー!がんばれぇぇー!」と励まし続けた。
しかし翌日、夫に連れられ私が入院している個室にやって来た娘は、なぜか怒っていた。怒鳴ったり、暴れたりするのではない、静かな怒りを湛えていた。私のいない夜がさぞ心細かったのだろうと両手を広げてみても、いつものように飛び込んでは来なかった。それどころか「一緒に食べよう」とお菓子を見せても、しかめっ面で、ぷいっとそっぽを向く始末。私は戸惑った。けれども、私よりもっと戸惑っていたのは、娘だったのである。
娘の静かな怒りは、戸惑いから来るものだった。生まれた時から、いや、生まれる前からずっと一緒だった母が帰って来ず、翌朝会いに行くと他の誰かを腕に抱いている。嬉しい時も悲しい時も自分のものだった心地良い胸は、今や他の誰かの空腹を満たすために差し出されている。母だけでなく、父も、祖父母達さえもその「誰か」に夢中になっている。戸惑い、混乱するのも無理はない。
次の日も、また次の日も、娘は病院に面会に来ては、素っ気ない態度で抗議した。帰る時も、こちらが拍子抜けするほどあっさり帰って行った。しかし、後から夫に聞いた話だが、毎回病院の玄関を出て車に乗せた途端、何かがぷつりと切れたかのように泣きじゃくり、「いいこにしてたらおかあちゃんかえってくる?」と繰り返し尋ねていたという。
娘は、生まれ変わろうともがいていた。突然現れた弟が憎かったのではない。姉になった自分を受け入れようと、必死だったのだ。私が退院して自宅に戻った日、入院中とは別人のような穏やかな表情で、娘は「おかえり」と言った。私に言ったのではない、息子に言ったのだ。それは、娘が生まれ変わった瞬間だった。小さく頼りない弟と、その子の姉になった自分自身を受け入れた瞬間だった。柔らかな手で小さな頭を撫で、ふふふと笑う娘。初めて見る表情。大発見だ。子どもの心は、私が思うより何倍も広く、優しく、尊かった。
それから毎日、息子の成長を娘と見守ってきた。首が座り、寝返りをうち、腹這いでおもちゃを狙う。本能だけを頼りにしていた儚い命が、意思を持つ一人の人間になる過程は、発見に次ぐ発見、コンビニも腰を抜かすほどの全力二十四時間営業である。もちろん楽しいことばかりではない。娘が姉になったということは、すなわち、私が二児の母になったことを意味している。娘と向かい合って遊ぶ時間は激減し、息子の世話に明け暮れる毎日。諸々の家事と娘の相手、息子の授乳、オムツ替え等で一日が終わる。自分の時間など皆無だ。おまけに最近は、息子の夜泣きにも頭を抱えている。悩みを列挙していては日付が変わってしまう。
しかし、子どもとの毎日に飲み込まれそうな私を救ってくれるのもまた、子どもであるというのがなんとも不思議である。賢く、優しく、世話好きな娘。昨日できなかったことが今日できるようになる息子。愛おしい発見の日々。私もうかうかしていられない。かけがえのない我が子が与えてくれる発見に感謝しながら、私は今日もまた、生まれ変わろうとしている。