「平成」という時代が幕を閉じようとしている今年、二年目に入るこの「徒然草エッセイ大賞」の選考にあたっていて、ある感慨にふけりました。どの作品をみてもそこには、穏やかな視線、落ち着いた筆づかい、細やかな観察が目立っていたからです。その静けさはいったい何だろうと一瞬思ったのです。
ふり返ってみると、この「平成」の三十年間というのはけっこう激動と波瀾に富む時代だったからです。大震災と風水害がつづき、あのオウム真理教の事件もありました。いじめや虐待の悲惨な事件もあいつぎました。海外をみても各地に見るも無残なテロが発生しました。人心は荒れ、社会は不安と動揺でただならぬありさまでした。
その不安や動揺によってとび散る言葉や文章がほとんど感じられない、それよりはむしろ日常の寂しさや苦しさを抱きしめる、優しさのような雰囲気をかもしだすエッセイにたくさん出会っているようでした。
もっともそれは、もしかすると今回のテーマが「旅立ち」だったことによるのかもしれません。人生の節目になる出会いと別れ、そこににじみでる思い出がテーマに選ばれていたためだったのでしょう。
入選した作品を例にとりますと、育てあげた一人息子が親離れして巣立っていくときの母親の気持(一般)、勉強の遅れがちな生徒の心をのぞきこんでハッとする教師の静かな内省(一般)、心身の不調和に苦しみながらゆっくりのり越えていった思い出(中学生)、小さなカメを飼い細やかな面倒をみていたのに死なれてしまった悲しみの体験(中学生)、はじめておつかいに出されたときのドキドキするような思い出(小学生)、赤ん坊のお守をまかされ二人で遊んだなつかしい記憶(小学生)などなど……。どれも、新鮮な出会いと忘れがたい旅立ちからなる心の成長物語になっていました。それがいってみれば、淡々と綴られ、激することなく、静かに語られ、書きつがれていく……。
時代の方は、かならずしもいつも平穏な素顔をみせていたわけではないのに、また世界の各地から伝わるニュースも楽しい情報ばかりではなかったのに、そのような異常な風は吹いてこないし、その不確かな足音もほとんどきこえてこなかったのです。
「エッセイ」とは、そもそもそういうものだという思いこみがあったためではないでしょうか。起伏のはげしいエピソードやミステリアスな物語はむしろ小説やドキュメンタリの分野がふさわしいという常識があったのかもしれない、ふと、そうも思いました。
けれども吉田兼好さんの「徒然草」を読みすすめていきますと、そこには結構、しかめ面をした作者の非人情な顔があらわれたり、その口からは皮肉な言葉や意地悪なきめ科白が飛び出してくるのがわかります。
一筋縄ではいかない批評の目がその背後には隠されていることに気がつきます。そしてそれもまたエッセイなるジャンルには欠かせない魅力であることがわかるはずなのです。
考えてもみましょう。この「平成」という時代を映し出すキーワードははたして何だったのかと改めて選んでみると、私などにはさしあたり「いやし」「頑張らない」「寄りそう」などといった優しい言葉が立ちどころに浮かんできます。それに加えて「悩まない」という言葉も登場してきそうです。これらの言葉の影が、もしかするとこの時代のエッセイの世界にも及びはじめているのかな、と多少とも不安な気分に誘われました。
エッセイの領分には、もうすこし別の奥座敷が残されているのではないか、と最後に申しあげて、この少々辛口な選評のしめくくりにしたいと思う次第であります。
徒然草エッセイ大賞は、今年もすぐれた作品が多く集まった。石清水八幡宮と『徒然草』の縁の深まりを感じる。
小学生の部、大賞の『おつかい』は、初めてのおつかいのドキドキ、わくわくする気持ちが、「牛乳が重い」という身体の実感と結びついて、しっかりとした人生の手応えを書いているのが素晴らしい。優秀賞の『とってもちっちゃな運動会』は自分よりさらに小さな子との触れ合いを描いて秀逸。佳作の『ハムゴロウとの別れ』は素直な表現が心に残った。
中学生の部、大賞の『自己開拓』は、自分の個性と向き合い、見つめ、他人と出会う中で成長していく様子が素敵だった。優秀賞の『ハイビスカス』は、飼っていたカメの「不在」がかえってその「命」を感じさせるという視点が良い。佳作の『灰の町』は父の単身赴任先の鹿児島に降る火山灰の描写を通して、父への感謝の気持ちを表現していて心に響いた。
一般の部、大賞の『人間教師への旅立ち』は、作文の学びを通してひとりの人間が成長していくことの難しさ、大切さを記して感動的。優秀賞の『ゆげはゆく』は、娘との会話のいきいきとした具体性が、文学のような余韻を持つ。優秀賞の『男らしい旅』は、成長の誇らしさと親離れ子離れの寂しさを父とのやりとりの中に鮮やかに浮かび上がらせる。
兼好法師が『徒然草』を記してから700年近くの年月が流れた。すぐれたエッセイを通して伝わってくる人の心の揺らぎ、ぬくもりは変わらない。文章を通して、時を超えた人の絆、つながりが育まれることは一つの奇跡だと思う。
身の回りに起きた出来事を書きだそうとして、なかなか書けない。それは書き方に惑い、悩むのもありますが、さらに難しいのは自分の心の動きを写し出すことかもしれません。
でもそれがエッセイの強みでもあります。ある出来事を上手に描写する人がどれだけいたとしても、自分の心を描写するのは、自分以外にない。自分以上に自分の心を観察できる人はいないのです。そういう意味では、誰もが自分に関するエッセイを書く達人です。
小学生の部「おつかい」はおつかいを頼まれた喜びと、実際の苦労をよく描写していました。
中学生の部「自己開拓」はずっと抱いていたもどかしさと孤独、自分の殻を打ち破ろうと努力し、自己開拓を目指す作者のひたむきな姿勢が伝わりました。
一般の部「人間教師への旅立ち」は教師となって初めて受け持った生徒さんとのエピソードが染み入りました。こうした経験が作者のその後の教師としての姿勢を浮かび上がらせているように感じます。
人生は旅に例えられます。大きな旅立ち、小さな旅立ち、応募してくださった皆さんが「書いてみたい」と思われた貴重な旅立ちに「同行」させていただき幸甚でした。
人生は旅そのものです。子は親のもとから旅立ち、親はやがてあの世へ旅立ってゆく。誰もが通る道ですが、誰一人として同じ道を辿る者はいません。人の一生はまさに十人十色、千差万別です。その人限りの、計り知れぬほど貴重な日々の体験の集積が、即ち人生であると言ってもよいでしょう。その全てを言葉で語り尽くすことはできませんし、いかに立派な文章を書き連ねようと、それが百パーセント他人の心に届くわけもありません。
もっとも、このエッセイ大賞のように「出会い」とか「旅立ち」というテーマ、ある一定の仕掛けが施されると、自他を隔てていた壁の向こう側に万人共有の懐かしい風景が透けて見えるように感じられることがあります。そこに涙があり、笑いがある。思わず「そうだったよなぁ」と共感し、頷いている自分がいる。
父と娘、母と息子、兄と妹、祖父母と孫、教師と生徒、過去の自分と未来の自分……。これら多くの作品中に描き出されているのは、様々な関係性の中で語られる「それぞれの旅立ち」です。むろん、読み手の個性や人生経験の違い、あるいはその時々の流行や気分等によって、評価も様々に分かれてくるでしょうが、私には何れもが輝かしい人生讃歌でありエールでもあるように感じられました。
全国から応募してくださった皆様の作品を拝見しますと、お一人お一人の人生から掘り出された選りすぐりの宝物が、そこにぎっしり詰め込まれているように思われ、委員の一人として選考に携わることを通じ、本当に貴重な体験をさせていただいたものと、心から感謝いたしております。
第二回徒然草エッセイ大賞には、一般の部一〇四八作品、中学生の部三六二作品、小学生の部六二六作品というたくさんの秀作が全国から寄せられました。ここでは、選評にかえて、選考過程を簡単にご紹介します。
最初に、応募規定を満たしているかどうか、文章として推敲がなされているかどうか(誤字・脱字も含めて)という点を基準に、プロの編集者、ライターにより事前選考を行ないました。そして事前選考を通過した各作品(一般の部百作品程度、中学生の部・小学生の部各五〇作品程度)を、八幡市関係者二名、PHP研究所の編集者三名の計五名がそれぞれ五段階評価で採点。その総合点をもとに、月刊誌「PHP」、月刊誌「歴史街道」、月刊文庫「文蔵」の各編集長及び編集長経験者により、再度、内容・表現力を精査して、一般の部二二作品、中学生の部二〇作品、小学生の部二一作品を最終選考作品に選定、選考委員による最終選考を行ないました。
選考にあたってとくに留意したことがあります。一つは本賞が、日本三大随筆の一つである「徒然草」を冠したエッセイ募集であるという点。『日本国語大辞典』には、「エッセイ」とは、「①文学の一ジャンル。自由な形式で書かれ、個性のはっきりした散文。随筆。②特定のテーマに関する論述。随想風小論文。小論。評論。論説」と定義されていますが、①の「自由な形式で個性のある文章」であるかどうかに重きを置いたという点です。もう一つは、「旅立ち」というテーマ設置を、狭い意味での出発や門出ではなく、人生も含めて「旅に立っている」ことそのものと広くとらえるということ。そして、原稿字数も、既定字数以内なら字数の多寡を問わないということです。