一年間の修行を終え、娘が高野山から下山した。山の空気を感じさせる娘と私は、普段着姿で墓前に向かい、一礼をした。
「摩訶般若波羅蜜多心経」
娘は声を張り、ものすごい速さで般若心経を唱えはじめた。あまりの迫力に私は固唾を飲みこむ。これまで見たこともない様子だった。読経を終えた娘は、長い数珠を片手に清々しくふり返った。思春期の頃とは違い、澄んだまっすぐな目を私に向ける。
「読経はいつもそのスピードなんですか?」
「これがふつうですよ。何か問題でも?」
「いや、ふつうならいいんです」
親子の会話を「ですます調」でするようになって数年たつが、嬉しいことに「ですます調」がしっくりくる。高野山尼僧学院で修行中の一年間、電話も含めてメディアをすべてシャットアウトされていたので「浦島太郎になった気分ですよ」と娘は言う。私は様々なことを思い出し、涙があふれそうになった。
幼い頃は「野生児」と呼ばれていた娘も、中学校に上がる頃にはひっこみ思案で、学生服姿の集団に怯えるようになった。セーラー服を着る意味も、規則でスカート丈が決まっているのも理解できないし、勉強することに意義を見出せない。学校で勉強することが権利だか義務だか、そんな大人が勝手に決めた意味不明なことは拒否したい。責任ばかりが重くなる社会とやらに、誰が夢を持ち、友と語るというのだろう。娘は悶々としていた。
そんなある日、予防接種の問診票を見たドクターがストップをかけた。
「河野さん、てのひらを広げてごらん。うん、ちょっと喉をさわるよ。今日は注射はナシだね。病院へ行って、甲状腺ホルモンの血液検査をしてください。お大事に」
かくして娘の甲状腺機能亢進症、いわゆるバセドー氏病が判明した。平熱が高めなのも汗かきなのも疲れやすいのも、みんなバセドー氏病のせいだったのだ。これ以降、娘は堂々と学校を休むようになった。服薬すると頭痛がしてつらさが増すので拒否をし、寝ても覚めてもつらい体を押して、娘は口を開く。
「今日は休みます」
「わかりました。学校に電話をします」
娘の気が向けば登校するのだが、登校をしても保健室へ行く日が多く、登校日の半分は早退である。そのたび、私が車で迎えに行った。当然、テストの結果は、授業中イスに座っているのが不憫に思えるほどの点数だ。
「テストというのは、百点が取れるような出題しかないんですよ。その百点にも意味があって、出題者が意図する答え方ができるかどうかなんです。この点数では授業を受けるのがつらいだろうから、せめてつらくないレベルになれるような塾へ行くのはどうですか?」
「学校みたいな所には行きません」
「そうではなくて、マンツーマンで人間的底力をアップしてくれる所です。直接テストの点が上がらなくとも、とやかく言いません」
「わかりました。国語ならやります」
学校は休んでも、車で四十分かかる所にある塾は休まず、楽しむようになった。それならば学校を休ませても旅行に連れて行き、映画館に誘い、マンガをどっさり読ませた。
高校は、レポート提出と月一回のスクーリング出席をクリアし、単位を取得すれば卒業ができる、単位通信制高校へ入学した。どういうツキの巡り合わせか、三月の血液検査で甲状腺ホルモンが正常値になった。体が楽になり、制服からも、週五日間登校日がある重圧からも解放された。のほほんとした高校生活を送るうち、娘の笑顔は増えていった。
娘は自分から何かをやりたい、と言ったことがない。それが、旅行会社のチラシを手に、神妙な顔で近づいてきた。
「お母さん、この四国八十八ヵ所遍路バスツアーなんですけど、一人で参加してみたいんです。一年かけて八十八ヵ所をまわって、高野山へお礼参りに行くんです」
「いいですよ。せっかくやりたいことができたんですから、行ってらっしゃい」
私は、娘の旅立ちがはじまった、と嬉しくなった。そうして参拝グッズを買いそろえて、バスツアーに参加してみると、シニアの方ばかりだった。高校生がめずらしくてちやほやされたけれど、食事前にお茶や箸を配ったり、旅館で浴衣の着付けを手伝ってまわる娘。
「えっ? 核家族の一人っ子? よく気が付くわねえ。ウチの孫に爪の垢を飲ませたい」
あたり前のことをふつうにしているだけなのに、口々に褒められる不思議さと嬉しさから、前向きに生きていく自信を持ち、娘は仏門に入る決意をした。
高校卒業後、頭を丸め、何も持たず、寺の娘さん達にまぎれて高野山尼僧学院に入門した。同級生四人のうち、一人は志半ばで下山をしてしまった。苛酷だったと思われる一年間の努力を娘は口にしない。仏様と共にあるその姿は、もう私の手を離れている。