応募作品のうち、とくに印象の鮮やかだった三篇を大賞、優秀賞、佳作のなかから選んで、感想をのべることにしよう。
まず小学生の部門で優秀賞をとった「あの日の妹」。八幡市立美濃山小学校六年生の廣瀬美卯さんの作品。
はじめの簡潔な出だしで、読む者の関心を一気に引きつける。
「ドキドキ。私は今、車に乗っている。行き先は病院だ。私が五歳のとき、妹は生まれた」
さり気ない書き出しだが、とても利いている。生まれた妹はからだが小さく、毎日注射を打たなければならなかった。身長がのびなければ、また病院に逆もどり、となるかもしれない。もう二度とそうなってほしくはないと、心に叫ぶ。ムダがなく、素直な言葉がそのままこちらに伝わってくる。
つぎに中学生の部門で佳作に入った「追憶の丘」。霞ケ浦高等学校付属中学校二年生の山岡真緒さん。
最後の一行で種明かしをする。その謎解きのプロセスを、好奇の目を輝かせてゆっくり描いていくところがお手柄。
小学生時代、バス通学をしているころの話であるが、窓ごしにみえる風景がつぎつぎに移っていく。やがてそのお目当ての場所に近づいていく。樹々が茂り、花が咲き、いろんな建物が過ぎていく。その場所に近づくと、主人公の胸が高鳴り、観察が細かくなり、じっと視線をそそぐ。しかしそれは物もいわずに、ただそこに静かにたたずんでいる。それを眺めることができるのはほんの一瞬で、バスは大きな図体を揺らしながら通り過ぎていく。はて、それはいったい何だろうと疑問がもたげてくるころになって、カミを祀る神社だったと、落ちがつく。ただ、最後の四、五行が、いわずもがなの説明になっていて、それが惜しまれる。
最後に、一般部門の「よう、虫」が大賞に選ばれた。千葉県柏市の高校二年生、生天目咲樹さん。
子供のころからの無類の虫好きが、芋虫の変態に目を奪われる。赤黒い血の筋をもつ「悪魔」のような不気味な存在に出会い、しだいにのめりこんでいく。不安の日々を送るうちに、いつのまにかそれを飼育するようになっていた。その自分の心の変態を、生理的な感覚を交えて描いていく。言葉の選び方、比喩の用い方に工夫があり、語り方にも味がある。ただこの作品でも最後の数行は蛇足。エッセイの仕上げにはやはり、余韻をのこす、でいきたい。
今年の募集タイトルは、吉田兼好の『徒然草』にちなむ「出会い」だったが、上記三編はいずれも個性的なそれぞれの出会いを語って惹きつける。ただ、ご覧の通りここに掲げたのはどれも作者が女性だった。もちろんそれは意図したわけではなく偶然だったのだが、しかもそれが小学生、中学生、高校生と若い世代にかたよっているのが、これまた偶然だったが、われながら何ともおかしい。自分が歳を重ねた年寄りだからか、それとも、それだから若人たちの新鮮な感覚に魅入られたからなのか、はかりかねている。
もっともこの国ではかつて紫式部や清少納言などの女性が活躍していたのだから、別に不思議なことではないのだろう。けれどもそもそも『徒然草』の作者である吉田兼好はより歳を経た男性だった。彼のような複眼的なまなざしをもつ男性の書き手が少なかったことが少々さびしいのである。
『徒然草』に石清水八幡宮が出てくる縁を記念して創設された徒然草エッセイ大賞。読み応えのある作品が揃った。
小学生の部、大賞の『忘れられなかった事』は、人生のたいへんな経験について、その時々で感じていたことを文章にしていて心を動かされた。最後の決意表明も素敵である。優秀賞のうち、『でめたろう伝記』は漱石の『坊っちゃん』を思い起こさせる語り口が魅力的だった。どの作品も、自由な発想と飛躍が「さすが小学生!」と思わせた。子どもは天才だ。
中学生の部、大賞の『嬉し涙』は、不安を乗り越えての出会いで涙があふれ出た瞬間のことを、そこに至る人生の物語とともに描いている。優秀賞のうち、『くもと私とじいちゃん』は、冒頭から図書館に移り、祖父の思い出からくもへの視線へと向かう構成が巧みである。中学生は、人生の移行期。みずみずしい感性に、教えられることが多かった。
一般の部、大賞の『よう、虫』は、「その刹那、オレンジの光が殻から漏れ出た」というような表現力が素晴らしい。優秀賞のうち、『“父”との出会い』は、ご自身にとっての「父親」的なものの探求のプロセスを書いて読み応えがあった。人生の年齢を積み重ねていくと、その中に蓄積してくるものがある。エッセイを書くことが、振り返りのきっかけになれば良い。
兼好法師は、「心に移りゆくよしなしごと」を記すのだと書いた。日本の随筆は、心に浮かぶさまざまなことをありのままに書く点において世界の文学史の中でユニークな先進性を持つ。大切な文化がこの賞をきっかけにますます発展することを祈る。
応募いただいたエッセイを読みながら「出会い」の不思議さを作品の数だけ感じました。
「出会い」によって生き方や気持ち、考え方が変わる。言わば「出会い」は人生の思いがけぬ岐路で、その岐路のとらえ方、綴り方に唸った作品を選んだつもりでいます。大賞に選ばれた作品について一言述べます。
小学生の部「忘れられなかった事」は静かに物語るところが、胸に迫ってきました。
中学生の部「嬉し涙」は人柄がにじみ出て、読んでいてホッとさせる文章でした。
一般の部「よう、虫」には驚かされました。虫との出会い、その後の展開と意外な結び、見事でした。
審査という大役を担ってつくづく思うのは、選ぶことの難しさです。どの作品にも「これを書かずにいられなかった」という作者の気持ちがあふれ出していました。そういう気持ちに優劣はありません。
エッセイとは、自分の身の上に起きた出来事を文章にして、人に伝えるものです。皆さんのかけがえのない出会いを書くことで、それぞれの出会いを再体験し、その出会いがもたらした自身の変化を再確認されたことと思います。それが「書く」ということの醍醐味だとわたしは思います。
これからも折に触れて徒然なるままに書いてみませんか。何気ない日常の過ごし方が変わるかもしれません。
畿内や中世以降の国史に精通されているか関心を持たれている方なら石清水八幡宮の名や由緒などをご存知かもしれませんが、全国各地では全くご存知ない方々もかなりおられます。私が各地で名刺交換をすると、「どちらにある神社ですか?」と尋ねられることしばしばであります。
そんな時、よく引き合いに出させていただくのが吉田兼好の『徒然草』第五十二段の著名なあの仁和寺の法師のくだりです。
言うまでもなく『徒然草』は、『枕草子』や『方丈記』と共に日本三大随筆文学の一つで、おそらく多くの方が一度は目や耳にされたことのある名文であり、この話を付け加えて説明させていただくことで、皆さん「あ! あの神社ですか!」と分かっていただけることしばしばであります。
今回、当宮と共に歴史の舞台に登場する八幡市が市制四十周年を機に「徒然草エッセイ大賞」を創設され、全国から広くエッセイを募集されました。これに応えて全国の老若男女から多数の応募があり、その反響の大きさに審査員の一人として嬉しく思います。拝読させていただいたバラエティに富んだ作品の数々は、今の世に蘇った『平成の徒然草』でありました。
舞台となった石清水八幡宮の宮司としては勿論ですが、地元八幡市が、このエッセイ大賞の創設を通して、当市が誇る数々の歴史や伝統文化が広く全国に周知され、より多くの方々が当市に訪れられ、その深い歴史の一端に触れていただき、『徒然草』第五十二段に込められた「先達はあらまほしきことなり」の歴史風景を感じていただければ幸いに思います。
第一回徒然草エッセイ大賞には、一般の部一九一一作品、中学生の部三五八作品、小学生の部三一二作品というたくさんの秀作が全国各地から寄せられました。中には、海外から応募いただいた方もおられ、選考員の一人として感謝にたえません。ここでは、選評にかえて選考過程を簡単にご紹介しましょう。
最初に、応募規定を満たしているかどうか、文章として推敲がなされているどうか(誤字脱字等も含めて)という点を基準に事前選考を行ないました。次に、事前選考を通過した各作品を、八幡市関係者三名とプロの編集者二名、合計五名がそれぞれ採点(一次選考)。だれが読んでも共感と感動を得る内容かどうかを判断することが主目的でした。そして、月刊誌「PHP」、「歴史街道」、「ボイス」、月刊小説・エッセイ文庫「文蔵」の各編集長および単行本編集長二名の合計六名が、一次選考での採点をもとに全作品に目を通して、再度、内容や表現力を精査(二次選考)した後、各部門二十作品に絞りこみ、選考委員による最終審査を行ないました。応募いただいた作品すべて、それぞれの出会いと、その出会いを縁として生き方や心のあり方が広がっていった様子、そしてその経験を自分一人だけのものにするのではなく、たくさんの人にもおすそ分けしたいという気持ちが伝わってくる素晴らしい作品ばかりで、各段階での選考は優劣のつけがたい僅差での判断となりました。ただ、応募作品全般を通して、タイトルにもう一工夫が欲しかったと思います。タイトルは、作品の“顔”であり、作品を読む最初の動機づけになります。タイトルも作品の一部という緊張感を持って大事にしていただければ、よりよい作品が生まれると思います。