小学生の部

大賞

忘れられなかった事
八幡市内の小学校 6年 立美 育也たつみ いくや

 今から七年前、コンビニのちゅう車場に車を止めていた。父とぼくが車の中にいた。まさかあんな事になるなんて思いもしなかった。
 父が気持ち悪いと言った。その時お母さんはいなかったため、電話をした。なんとか救急車が来た。だけどちょうどその時、意識がなくなった。ぼくはその時四才、大丈夫か本当に心配した。なんとか一命は取りとめたものの、植物状態で、意識がなかった。最初のころは、面会謝絶だったが、ちょっとして、会うことができた。そこからいろいろな病院に転院を重ね重ね、最初は、毎日通った。家からも遠かった。二個目の病院の時、一度命が危ないと呼び出されたこともあった。けど、大丈夫だった。一安心した。たおれてから、約七年が経った今年七月中ごろ、深夜四時ごろ、一本の電話が入った。それは、父がきとく状態だと。ぼくは急いで起き、お母さんとタクシーで急いで病院に向かった。タクシーの中ではいろんな事を考えていた。
そして、病院の中に入り、部屋に行くと、もう亡くなっていた。医者が言うには、一時間くらい前から、亡くなっていたと言う。後から思うと、なぜもうちょっと早く電話をしてくれなかったのかと強く思った。午前四時五十九分、死亡確認がされた。その時父は四十九才、まだ若かった。母は号泣、「ごめんね……」ただそれだけを言っていた。ぼくも、二ケ月ぐらい会えていなくて本当に悔しかった。なんで、なんで、という思いが後からこみ上げてきた。そう式の前の日、友だち、身内で思い出を語っていた。父の小さかった時のことを聞いていると一気になみだが出てきた。想像していたよりよい父であり、いい人だった。
 あれから四ケ月が過ぎた今でも思い出すこともある。これからは、ぼくが強くなり、ぼくが母を守っていくと決めた。

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