思えばなぜ、あの時に気付いたのだろう。私は当時小学五年生で多くの悩みを抱えていた。友人関係や勉強、容姿。今では気にならないような事まで悩んでいた。スクールバスで帰る途中の事である。たまたま一人で座席で座っていた為にいつもは気づかない彼女に出会えた。
姿をはっきり見たのは五月。力強い若葉と夕日のとろけ合う空間に存在する彼女。優雅さに目を奪われ、話も出来ぬまま終わってしまった。バスが曲がる間の五秒間。翌日からその五秒間で友情を育んできた。美しさに息をのむ一秒、語りかける三秒、さよならの余韻に浸る一秒。今思い出しても笑みがこぼれる。
語りかけるというよりはお願いに近かった。叶う事はあまりなかったが話すだけで悩みも小さくなるので心のゆとりにつながっていた。彼女は返事をしない。しないというよりできないのだ。その為言葉ではなく己の姿で私を元気づけてくれた。
「今日、友達に嫌いって言われちゃった。仲良くしていたはずなんだけどな」
こんな事を言うと、夕日に堂々と照らされる姿を見せてくれたものである。
「次のテストがうまくいきますように」
翌日、白い花を咲かせてくれたのには驚いた。
いちばん彼女に見とれたのは秋で、特別に美しかったその様をはっきりと覚えている。細く線を伸ばす彼岸花たちと夕焼け、彼女。赤で統一された空間は何とも言えぬ華やかさがあった。
下校バスに乗る時は左側を陣取り、隣には荷物を置いて自分と彼女の空間を作った。車中で悩みを聞いてもらったりお願いをすることは、自信を失っていた私にとって重要であり楽しみだった。小学校を卒業するまで彼女も私も装いを変化させながら四季を駆け巡っていた。時折窓越しでなく直接彼女を訪ねることもした。綺麗で静寂を兼ね備えていた。光を受けて佇む姿、鮮やかな色、石畳の清らかさ、隠すようにして生えている木々、全てが夢々しかった。また時間をみつけて久しぶりに訪ねようと思う。
ずっと前からいたであろう彼女との出会い。あのときだったからこその出会いだ。綺麗で大きくて静かで真っ赤。何でも話せた私の親友。名前のわからない、額束のない彼女。中学生になり通学ルートも変わり彼女にはあまり会えなくなったが、その存在を常に忘れないでいる。日頃から歴史の勉強に力を入れているし彼女に関しての本も読みあさった。いつしか彼女の正体をはっきりさせようと思っている。神社さんじゃなくて、ちゃんとした名前で呼びたいから。