中学生の部

佳作

最悪の出会い
八幡市立男山おとこやま第二中学校 1年 安本 悠一郎やすもと ゆういちろう

 作文がきらい。ぼくは食べるのが好きだけど、作文三枚以上書くとなると二週間おかしぬきでも作文は書きたくないほどきらいだ。
 自分がなぜこれほどきらいになったのか。そのきっかけは、小学校三年生の夏休み前にある。別にそのときはあまりきらいではなかった。一、二年生のときまでは、てきとうに文字をうめていたら、なんとなく文がうまっていって、いつのまにか作文ができていたのできらいではなかった。
 三年生でぼくは作文がどんどんきらいになっていった。それは、てきとうにうめても全然終わらず、終わったとしても、てきとうにうめただけなので意味のよくわからない作文になってしまっていた。いつも書き直しになった。書き直しをするうちに作文がめんどくさくなっていき、きらいになっていった。
 学年が上がるごとに書く行がどんどん増えて、作文の二枚目くらいまでいくと、ネタもどんどん切れていった。
 夏休みは、毎日ゆっくり起きてねれるのに読書感想文があるので、読書感想文が終わるまで頭に十キロ、背中に十キロ、足に十キロのおもりがついているような気持ちになった。夏休みが楽しみな自分と、夏休みなんて来るな、と思う自分がいた。
 ぼくにとって作文との出会いは、ものすごくいやなものだった。できれば出会いたくなかった。中学校でもきらいな読書感想文がある。だからやっぱりぼくは作文がきらいです。たぶん来年その次の年もずっときらいだと思う。
 ぼくはこんないやな気持ちばかり、作文の悪口として文章を書いている。作文と出会ってよかったことは、日本語が少し上手くなったこと、文章を書くのが少しましになったことだ。作文と出会ってよかったことはこのくらいしかないのだ。
 ぼくは、この先この大きらいな作文を好きとまではいえないが、少しずづ少しずつこくふくしていきたいと思う。文章をかくことで国語力をつけたいと思う。こくふくするためには夏休みの読書感想文を先に終わらせて、作文にきらいな気持ちを引きずらないようにしたい。
 そして作文と出会ってよかったこと、自分のためになったことを見つけていきたい。
 この作文を書いて少し自分はすごいと思った。作文の文章が書けているなんて。ぼくはそれだけ作文に対してあつい気持ちをもっていたことを知った。ぼくは作文が大きらいだった。けど、少し好きになったようだ。

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