佳作

十八歳の出会い
東京都日野市 大西 賢おおにし けん(45)

 高校三年生のとき、自転車で日本一周をした。出発から三週間ほど経ったある日、私は宮崎県のある街にいた。日がどっぷりと暮れて、辺りはもう薄暗い。商店街を自転車を引きながら私は歩いていた。声をかけやすそうな人がいたら声をかけるつもりだった。この辺に安い民宿か旅館はないか、それを くつもりだったのだ。この時間から泊まれる宿は限られているだろうが、とにかく訊いてみるつもりだった。
「お兄ちゃん、すごい荷物だねえ」
 予想に反して、私は逆に声をかけられた。振り向くと、六十歳ぐらいの男性が立っていた。荷物を満載した自転車を眺めながら、男性は「今日はどこに泊まるの?」と尋ねてきた。
「今、宿を探しているんです。この辺に今から泊まれそうな、安い宿はありますか?」
 男性の話では「この時間では無理だろう」ということだった。仕方なかった。いつもなら午後三時ぐらいには宿を決めているのだが、この日は峠越えに時間がかかり、この街に着く予定時間が大幅にずれてしまっていた。仕方なく、私は次の質問をした。
「では、この辺で野宿できそうな場所はありますか?」
 テントを持っていないので、屋根のあるところが望ましい。男性はうーんと思案したあと、「駅はどうだろう」と提案してきた。商店街の近くに駅があり、たしか一日中シャッターが閉まらないはずだ。もしかしたら泊めてくれるかもしれない。
「大人がついていったほうがいいだろう。一緒に交渉してあげる」
 というので、男性と二人で駅に行った。そして、駅の待合室で寝ても良いと許可を得た。
「ありがとうございました」
 と別れの挨拶をすると、なんと男性は、
「今日は一緒に寝ないか」
 と言ってきた。この男性も旅行者なのだろうか――。
 買ってきたお弁当を二人で食べながら、男性はこんな話をした。
「おじさんは東京で寿司屋をしていたのだが、だんだん客足が遠のいていき、とうとうつぶれてしまった。仕方なく故郷である宮崎のこの街に帰ってきたのだが、この年だから仕事がない。店の閉店と共に家族は自分から離れていった。完全に一人ぼっちになったんだ」
 なんて返事をしたら良いか分からない。黙って私は聞いていた。
「自転車で旅をするなんて、若さの特権だ。今が人生で一番楽しい時期だろう?」
 男性がそう尋ねてきたので、私は返事をした。男性が苦しい境遇を正直に語ってくれたので、私も正直に話した。
「今が人生で一番苦しい時期です。高校三年にもなって、就職も進学も決まっていません。親からは『将来どうするつもりなんだ』と責められています。自転車で旅をしながら進路の結論を出す目的で、家を出たんです」
 男性は目の前の若者が「青春を楽しんでいる」のではなく「進路に悩んでいる」ことを知って、一瞬驚いたようだった。しばらく黙ったあと、男性は語った。
「おじさんはね、人生というのは『誰かを励ますためにある』と思っている。おじさんは今、すごくつらいが、そんな姿を見て、キミが『世の中にはこんな苦しんでいる人もいるんだ。自分も頑張ろう』って思ってくれたら、おじさんはすごく嬉しい。誰かが誰かを励まして、その励まされた
人がまた誰かを励ます。そうして励ましの輪がどんどん広がって、みんなが生きる勇気を取り戻す。社会ってそういうものだと思うんだ」
 これまで私は生きる意味を何度も自分に問いかけていたが、「誰かを励ますために生きる」という発想はなかった。
 おじさんは続けた。
「おじさんは今日、キミと会って励まされた。思い悩んでも、若い肉体で旅を続ける。それは素晴らしいことだ。そしてキミもおじさんから励まされたことだろう。宮崎の小さな街で悩んでいるおじさんがいることを知って。お互い、励まし合って別れようじゃないか。それこそが出会いだ」
 ――十八歳の私はたしかに男性から励まされた。私には分からない苦労をこの男性は味わっている。それでもなお、生きる意欲を失わず、他人を励ます気持ちを持っている。それは自宅にいては絶対にできなかった出会いであった。
 駅の待合室で、二人で並んで寝た。
 朝、起きると、男性はもういなかった。
 私の頭の近くに一本のお茶が置いてあっただけだった。
 お茶を飲み干すと、私は力強くペダルを踏み出した。

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