一般の部

佳作

独立記念日
新潟県上越市 増田 小夜子ますだ さよこ(70)

 晩秋の夕方6時ともなると、外はすっかり暗く、風は寒々としていた。流しに向かい、水を出しながら食事の支度をしていると、後ろから娘の声がした。
「友達に借りていた本を返してくる」
「早く帰って来てよ」
 私は首を少し回しながらそっけなく言って、作業を続けた。
 1時間、2時間と経っても娘は帰って来なかった。「全く何やってるんだろう、夕食時なのに」と気になりだした時、携帯電話がメールの着信を知らせているのに気づいた。急いで開くと、娘からだった。
「しばらくいろいろ考えたいので帰りません。何かあったらメールします」
 一瞬ぽかんとなった。出て行く時の娘の様子を必死に思い出そうとした。ドアのところに立って私のほうを見ていたようだったが、暗がりになっていて表情がよく見えなかった。見えなかったというより、私が見ようとしなかったのだ。多分涙をこらえていたに違いない。
 急いで娘の部屋へ行ってみると、いつも物が散らかっていて、床も見えない部屋がきれいに片付けられていた。調子が悪く、直してくれるよう頼んでいたパソコンもちゃんと動くようになっていた。
 本当に出て行ってしまった。
 娘とはずっと険悪な状態が続いていた。夫との離婚は時間の問題で、夫が帰らない家に住み続けることに耐えられず、勝手に引っ越して数ヶ月。引っ越したこの家では、娘とささいなことですぐに言い争いになっていた。娘には事情も、経緯も何一つ打ち明けていなかった。話してショックを与えたくなかったし、悲しませたくなかった。娘は何か異変が起きていると感じていただろうが、直接打ち明けられないために、一体何が起きているのか、何が、と不安を抱いて過ごしてきたに違いない。そんな2人がうまく行くはずがない。お互いがとげとげしい心を抱えこみ、出口が見出せないまま疲れ果てた。娘はそれを避けるように帰宅しない夜を重ね、それがまた喧嘩けんかの原因になっていた。
「ありのままの事実を話して相談すればよかったんじゃない? 娘さんは20で、もう大人なんだから。心配させまいと蚊帳かやの外におかれたほうは、かえって苦しむと思う」
 娘の家出を友達に打ち明けるとそう言われ、そうかもしれないと思ったが、娘はもう行ってしまった。
 親子、友だち、猫や犬……、どんな関係にも必ず別れの時が来る。最終的には死ぬことによってだが、入学や卒業、結婚など人生の節目に訪れる別れは次のステップへの始まりになる。娘とはそのどれかで、“行ってきます”“がんばってね”、そんな言葉を交わしてスムーズに送り出すと思い込んでいたから、こんなに唐突に、一方的に出て行かれて、私はあわてふためき、うろたえた。それでも呼吸を整えて、まだふるえている指でメールを打った。
「これほどつらい思いをさせているとは思わなかった。ごめんね。どこへ行くのか知らないけれど、あなた自身を大切にしてね」
 頼る先は付き合っている男性の所しかないだろうと思っての言葉だった。娘からも返信が来た。
「私の知らない所で何かが起きていると感じていても、それが何か知らされない。それが辛かった。私も家族なのに。私が何も感じていないと思っていたのかしら。もう20過ぎたんだよ。ちゃんと考えたい。考える時間をください」
 家族なのに何も知らされていない、という言葉がこたえた。そうだね、家族なんだよね。もう20なんだよね。ありのままを相談し、一緒に考える年齢になっていたことを初めて受け入れた。そして、娘が家を出た後、何度かメールをやり取りして思った。今までこんなに娘と向き合い、こんなに正直に心の内をぶつけ合ったことがあっただろうかと。
 娘が出て行ったことは今起きていることのひとつの着地点ではあったが、やはり寂しかった。何をするにも気持ちが乗らず全身が重く停滞していた。仕事に行く時には無理やり気持ちを奮い立たせ、帰宅するとへたり込んだ。娘が一緒に連れて行けなかった小鳥を手の平に載せて、ぬくもりに触れている時だけが束の間の安らぎになった。
 そして12月24日だった。仕事で遅くなり、ジングルベルやクリスマスケーキに背を向けて家へ向かった。家の方へ角を曲がると、視線の先に玄関の門灯があかあかとともっている。「あれ、帰ってきた?」。小走りに玄関を開ける。でも娘の靴はなかった。ああ、私のために門燈もんとうけてくれたのだ、そう気がつくと涙がにじんだ。2階に上がると、パソコンの前にリボンのかかった包みが置かれていた。赤いガラスのブローチと絵本。添えられたカードには丸っこい娘の字で、「メリークリスマス! からだに気をつけてね」と書かれていた。
 涙が流れ落ちた。泣いた。娘が出て行って初めて大声で泣いた。さまざまな感情が流れて、いて、流れて……。それを繰り返していると、なぜか混乱していた気持ちが少し収まってきた。それぞれの立ち位置がつかめたような気がした。この日が、娘にとって、私にとって、独立記念日だった。


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