父からはずっと、
「お前は男らしさに欠けている」
と言われ続けていた。何をするにも消極的だし、失敗を極端に恐れる。声も小さいし、行動力もない。そんな私だったから、父から見れば
苛立たしく見えたのかもしれない。
父は自衛官だったこともあり、男らしさというものを何よりも重視する人だった。男らしくなければ生きていけないし、家庭も守れない。男らしさが全てといった感じの父だった。
なるほど、たしかに父は男らしかった。酒もギャンブルも好み、喧嘩っ早かった。言動に粗野なところがあり、繊細とはほど遠かった。健康に気を遣うことは一切なく、豪快に食べ、豪快に呑んだ。金遣いも荒く、宵越しの金は持たないを実践していた。そんな父から見れば、小さなことでいつも心配している私のことが頼りなく見えたのかもしれない。
中学生になってからも、私に男らしさの兆しは現れなかった。最初、柔道部に誘われたが、格闘技は向いていないと思い、写真同好会に入った。それすらも、飽きて辞めてしまった。高校生になってからも、部活動も勉強もほとんどしなかった。そんなだったから、父は私のことが腹立たしかったかもしれない。
「お前は将来、何になりたいんだ!そんなことじゃ、何をやっても中途半端だぞ!」
と声を荒げることが何度もあった。
私も自分に劣等感を持っていた。これほどまでに男らしさに欠けている人物など滅多にいない。将来、どうなってしまうのだろう。今のうちに手を打っておかなければ―――。
高校三年生になって、私は一つの計画を立てた。夏休みに自転車で東京から鹿児島まで行く計画を立てたのだ。これなら男らしい旅だろう。しかも、ホテルにも旅館にも一切泊まらず、野宿を繰り返し、レストランにも入らず、飯ごうで自炊をする旅だ。この旅を五十日にわたってするのだ。これなら男らしい旅だから、父も認めてくれるだろう。
「お前もようやく一人前になれそうだな」
そんな父の満足そうな顔が浮かんで、私は嬉しくなった。
ところが、旅の計画を話した途端、父は豹変してしまった。
「そんな旅、親として行かせられない」
これが父の答えだった。
十七歳の少年が一人で五十日も旅をするというのだ。どんな危険が待っているか分からない。交通事故に遭うかもしれないし、バス停や無人駅で野宿するプランだったから、どんな犯罪に巻き込まれるか分からない。親として、そんな無謀な旅は許可できないというのだ。
「父さんはいつも男らしくしろって言ってるじゃないか。この旅は男らしい旅だろう?」
私はそう反論するのだが、父は「ダメだ。認められない」の一点張りだった。
私の旅のプランを聞いてからの父は、まったく男らしくなかった。「心配」や「不安」に支配されているようであり、私が旅に出ることに極端に怯えていた。
「父さんがどんなに拒否しても、俺は旅に出るから」
そう断言すると、父の不安はさらに加速した。近所を救急車がサイレンを鳴らして通ると、私の将来の交通事故を暗示しているように感じられ、たとえそれが夜中であってもそれを聞いてからは一睡もできなくなった。
父は私に常日頃から「男らしくしろ」と言っていたことを後悔しているようだった。まさか我が息子がこんな無謀な旅を計画するとは夢にも思っていないようだった。父は「男らしく」して欲しかったが、私に危険な目には遭って欲しくないのだった。親心だろう。
旅立ちの前日、食卓を囲んで父が言った。
「男らしくなくてもいい。情けない男でも全然構わない。とにかく安全に帰ってきてくれ。危険なところには絶対に行かないでくれ。父さんは、お前に何かあったら、生きていけなくなってしまう」
それは、「あの父」とは思えない発言だった。
男らしくしろ、というのは父の表層的なハッパであって、本当の願望ではなかった。本当は、私が怪我なく健康で幸せでいてくれさえすればそれで良かったのだ。
旅立ちの当日、父は私に握手を求めてきた。そして、一日であきらめて帰ってきてもいい。寂しくなったらいつでも帰ってきていい。とにかく、安全に帰ってきてくれ」と頼んできた。
ようやく男らしさの要求から解放されたか、と安心したのと同時に、父の親心がとても嬉しかったのを覚えている。