優秀賞

“父”との出会い
栃木県宇都宮市 手塚 沙也加てつか さやか(29)

 私には、お父さんがいない。正確には、生物学上の父に当たる人間はいるけれど、お父さんと呼んで したえる人がいない。私が幼い頃、父はよくパチンコや麻雀に行っては家に帰らず、私はその帰りを遅くまで待ちわびては結局父に会えず床につく……という生活をしていた。小学校に上がると周りの子がお父さんと食事をしたり遊んだりしていることを聞いてびっくりして、母から父に休日に家にいてもらうよう頼んでもらったこともあった。私はその休日を心待ちにしていたけれど、父はただ私と同じ空間にいるだけで、決して遊んではくれなかった。また、父はよく私の従兄弟いとこなどに「俺は本当は男の子が欲しかった」と言って、私をのけ者にしたり、気に入らないことがあるとすぐに大声をあげたり、滅茶苦茶な運転の速い車に乗っけられたり、とにかく私を大切にはしてくれなかった。
 そんな風に育った私は、やがて人の歓心を買って歩くようになった。先生に媚び、先輩に媚び、男性に媚び……。私を守ってくれそうな人なら誰でも良いから好かれたかった。そしてみんな私を守ると言って、みんな私から去って行った。そんな訳で私は、全て壊しつくしても足りないくらい怒りに満ち満ちた大人に育って行った。いつも心の中に空虚くうきょな穴があって、それを埋めるために奔走ほんそうし、失敗し、傷つき、怒り、苦しんでいた。もう自分でもどう自分をコントロールすれば良いのか分からないほど、私の自己は爆発し拡散していた。
 そんな時、私はかねてより希望していた福祉の仕事についた。福祉の仕事を希望したのは、怒りに満ちた私でも、 病気や障害の人にならせめて優しくできるかもしれないと思ったのがきっかけだった。けれど実際はそんなに甘くはない。私はやはり、自分がいかに優しくない人間かを思い知っただけだった。それでも就職して五年がたって、私はそれまでとは違う部署に配属された。大嫌いな男性の上司の、直属の部下となった。どれくらいその上司が嫌いかというと、顔も見たくない、同じ空気を吸うのも忌々いまいましい、消えてほしいくらいに嫌いだった。なぜそんなにも、その上司が嫌いだったのか。その当時はよく分からなかったけれど、今思えば、彼が立派なお父さんであったからかも知れない。昔上司の娘さんが職場に遊びに来たことがあった。上司は、それはそれは優しい顔で、声で、娘さんに語り掛けていたのを今でも思い出す。あの瞬間、私はどうにも頭に血が上るような激しい感覚に見舞われた。私が欲しても欲しても手に入らないお父さんという人がこんなにも身近にいて、けれどそのお父さんは私のお父さんではないのだ。それは絶望にも近い感覚だった。
 そんな風にいきどお りながら、私はその上司の側で仕事を続けた。いつも彼の一挙一動に心はかき乱され、怒り、悲しみ、苦しみぬいた。そんな時、私はふと施設の看板を手作りしてみたいとこぼしたことがあった。上司は、優しかった。一緒にホームセンターに行って木材やペンキを買った。その時彼の後ろをついて歩きながら、私はこっそり、少しだけ泣いた。その背中はあまりにも、私の理想の“お父さん”だった。やさしさと強さと、愛情にあふれたその背中は決して大きくないけれど、私のささくれだった心をなだめるのに余りあるもので、その時初めて私は“お父さん”に出会った。
 そして今。私は今でも、その上司のもとで働いている。もうあの頃みたいに、彼の一挙一動に心乱されることはない。そうして心の中だけで、そっと彼の父性を慕っている。それから、私の本当の父に対する想いも少しは変化があった。いつも家にいなくて優しくなくて、意地悪なわたしのお父さん。私はあなたを愛することは出来ないけれど、それでもやっぱり、私の父親はあなた一人。どこを探しても、私の父親はあなた以外にはいないのです。
 この文章が父の元へ届くことはないだろうけれど。それでも私は、今こうしてパソコンに向かって一生懸命に言葉をつむいでいる。それだけ、父という存在は偉大なのだろう。私と同じように父性や母性に出会えないでいる人に、私は言いたい。人生はきっと帳尻ちょうじりが合うようにできている。だからあなたも、大丈夫だよと。

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