佳作

ハレの日は烤羊腿カオヤントゥイ
中国遼寧省錦州市 田中 信子たなか のぶこ

 ハレの日にはコレを食べる――誰にでもそんなご 褒美ほうびメニューがあるだろう。私のご褒美メニューは、「烤羊腿」だ。烤羊腿とは羊の太腿ふとももの丸焼きで、私が住む中国遼寧省りょうねいしょう錦州市きんしゅうしの名物の一つだ。日本人が十人前後しか住んでいないこの街の大学に、日本語の先生として赴任して早二年半、常に支えてくれたのは烤羊腿だ。烤羊腿と出会わなければ、早々に挫折、帰国していたと思う。
 四十歳を超えて、中国語を現地で勉強したくなった私は、「無料で授業が受けられる」という条件にかれ、それまで名前も知らなかった錦州市、渤海ぼっかい大学に赴任した。「同じ遼寧省だけど大連から遠いんだよ。何かあっても、私も妹もすぐには行けないよ。寂しい思いをするよ」という大連出身の友人の心配など、日本を出発する前には全く気にならなかった。
 しかし、授業が始まって一ヶ月経つか経たないかという十月初旬には、早くも「失敗だったかな~」「この歳で本 格的に語学を学ぶなんて、無理だったのかな」と思い始めた。当時我が校には私の他に二人の日本人教師がいたが、彼らはすでに中国生活に慣れていて、良く言えば「助け合い精神」、悪く言えば「日本人特有の慣れ合い」が全くなかった。知り合った当初一、二度食事をしたきり特に交流はなかったし、私には困っていることを言い出す「可愛げ」がなかった。
 楽しみにしていた中国語の授業で、早くも落ちこぼれ始めたのもつらかった。「中国語は中国語で教える」というのが原則だが、先生の多くは元英語教師なので初級クラスでは英語も使われる。また、留学生達は母語で意味や文法をよく確認していた。渤海大学に日本人留学生はおらず、その上私は英語が話せないので、毎日分からないことだけが蓄積されていくように感じていたのだ。
 「このままじゃ、ホームシックになっちゃうよ。今日は美味しい物を食べて、元気を出そう!」。そう思い、ある土曜日の夕方、大学の外に出たものの、それが「寂しさ」に拍車をかけた。中国の人は食事をとても大切にする。週末はどこも家族や親戚、友人と大きなテーブルを囲む人ばかり。どの店にも入ることができず、一時間近く冷たい風に吹かれながら歩いていると、「一人」という現実が身に沁みて涙が流れた。
 そんな時、突然いい匂いがしてきた。路上に作られた小さなかまどで、日本では見たことない大きな肉が、赤々とした炎で炙られていたのだ。「それは何? いくら?」と中国語で聞くと、お兄さんは「烤羊腿だ。大きさによって値段は違うけど、これは二○○元くらいかな。一人じゃ食べ切れないから、四人以上でおいで」と教えてくれた。簡単な会話だが、中国語力が上がっていることを知るには十分だった。何より漂う羊の焼ける匂いが本当に良かった。「ああ、烤羊腿を食べてみたい! 食べるためには、最低三人は友達を作らないといけない! そのためには、中国語を勉強しなければ!」。烤羊腿は、その匂いだけで私を奮い立たせてくれた。
 烤羊腿を初めて食べたのは、それから半年以上も経ってからだ。二期目のクラスは多国籍だったが、外食好きの韓国人女子学生素萍と金丛のおかげで、皆で食事に行くことが多かった。いつもより大勢で食事に行くことになったある夜、「烤羊腿を食べてみたい! 大きいお肉だからいつも頼めなくて、まだ食べたことがないの! どうしても食べてみたい!」と言ってみた。必死さが伝わったのだろう、誰も反対しなかった。
 席に着くと、赤く焼かれた炭火と共に途中まで焼かれた羊の太腿が運ばれて来た。留学生達も、これほど大きく厚みがある肉のかたまりを見る機会はなかったようだ。炭火にのあぶらしたたり落ちると香ばしい煙が立ち上がる。その度に私達は「おお~ッ」と声を上げた。一人一人に配られた細長いフォークとナイフで、焼けた所からいで食べるのだ。パリパリに焼いた香ばしい皮、噛むごとに頬にまで届く肉汁、のどに残る脂をビールで流す爽快さ、本当に美味しかった。半年前には寂しくて歩きながら泣いていたのに、今は歳の離れたたくさんの友達と中国語で話しながら、楽しく食事ができている、そのことが嬉しかった。
 現在、中国滞在は三年目。この間、留学生と共に受けたテストの打ち上げ、帰国する留学生の壮行会、日本語学科の学生の入賞祝い、祝宴はいつも烤羊腿だった。今、私にとって烤羊腿はハレの日のご馳走でもあり、ハレの日を作る原動力でもある。あの日烤羊腿に出会っていなければ、早々に元の生活に戻り挫折感だけが残っていただろう。今の中国語力も、多くの友人も得ることはなかったはずだ。今後何年中国に住むかは、まだ分からない。一回でも多く「烤羊腿」を食べるために、「ハレの日」を増やしていきたい。


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